私達がするべきことは「どのようにパーフェクトで確実なことが救済の後に待っているのか心配すること」ではありません。
何故なら、あなたはまだ(あなたを下降へと導いた「分離の階段」の最後のステップである){目覚めへの}第一のステップを歩み始めたばかりなのだから。
現時点では、奇跡だけがあなたの関心事であるべきなのです。
私達はここから始める必要があるのです。
そして一旦これを始めたなら「立ち上がって目覚め夢を終らせる道」は静かでシンプルに成るのです。
あなたが奇跡を受け入れた時、あなたはもう「あなたの怖れの夢」を今までの夢の上に付け加えようとはしないのです。
{新しい怖れの夢を付け加えようとするあなたの}サポートが無くなれば夢は消え去って行き、その効果/影響を残さなくなるのです。
何故なら、夢を強化し続けているのは{夢に対する}あなた達のサポートなのだから。
自分達が分離していることを別のマインド(もう一つのマインド)が同意しない限り、マインドが病むことは無いのです。
だからそれは「病んでいようとする彼等の繋がった選択」なのです。
もしあなたがこの同意を退けて、病をリアルに作っているあなたの役割を認識したなら、もう一つのマインド(他者のマインド)がその罪悪を{あなたに向かって}投射することは出来ないのです。
『それ(他者のマインド)がそれ自身を「あなた」から分離していると知覚すること』をあなたが助けなかったなら、もう一つのマインド(他者のマインド)が罪悪をあなたに投射することは出来ないのです。
こうして{上記の認識してあなた達が投射を止めることにより}、「あなた達両者のマインドが(それぞれに分離した視点から)体を病気として知覚すること」が無くなるのです。
一人の兄弟のマインドと合一することで、病の原因が阻止され、病の結果が知覚されることが阻止されるのです。
「分離を行なっているマインド達」から病が来ているように、癒やしは「繋がっているマインド達」の効果/結果なのです。
{全ての}マインド達は{実際には既に}繋がっており分離してはいないので、奇跡は何もしないのです。
しかし夢の中ではこれ{マインドと体の関係}が逆転されており、「分離しているマインド達」がそれぞれ体として見られており、それらの体は切り離されており、それらの体を繋げることは不可能なのです。
「あなたの兄弟が病気になること」を許可するのは止めなさい。
もし彼が病であった場合、(夢を彼と共有することにより)あなたは彼を彼自身の夢の中に捨てているのです。
彼は病の原因を「それが存在している場所(分離しようとしているマインド内)」に見ておらず、「あなた」は「あなた達の間のギャップ(そこで病が作られているのです)」を見過ごしているのです。
こうしてあなた達は病の中で繋がっており、小さなギャップを癒やされないままに保っているのです。 あなた達の間のこの小さなギャップに病が注意深く保持され尊ばれており、(神がやって来て「神へと続くこの小さなギャップ」を繋いでしまわないように)このギャップは硬い信念により保たれているのです。
「彼(あなたの兄弟)が幻想を持ってやって来ること」を阻止しようとするのは止めなさい。
何故なら、彼がやって来ることこそ(夢の中で輝いている「その他全てのこと」よりも)あなたが求めるべきことなのだから。
夢の終焉が怖れの終焉なのです。そして夢の世界の中に愛が在ったことは全く無いのです。
このギャップは小さなものです。
しかしこのギャップの中に「疫病や全ての形の病の種」が入っているのです。
何故なら、このギャップは「遠ざけておいて繋がらずにいようとする願い」なのだから。
こうしてこのギャップが病の原因/理由を与えているように見えているのですが、病の原因はこれ(このギャップ)ではないのです。
「病が持っている原因」は「{お互いを遠ざけて繋がらずにいようとする}ギャップの目的」でしかないのです。
何故なら、あなた達を体の中で分離しておこうとしてギャップは作られており、あなた達はあたかも体が痛みの原因(源)であるかのように見ているのだから。
しかし痛みの原因は分離であって、痛みの原因は体ではないのです。
体は分離の結果に過ぎないのです。
そして分離とは空のスペース(空間)に過ぎず、それは何も内包しておらず、それは何も行なわず、それは通り行く船が立てる波紋の間に出来た真空(空間)のようなものなのです。
そして水が波としてその空間の中に入って来てその空間を埋めるように迅速に繋がることで分離(ギャップ)が埋まるのです。
彼等(波達、あなた達)が繋がって「少しの期間彼等が分離していたように見せていたスペース」が埋められてしまっている時、波の間のギャップは何処に在るのでしょうか?
マインド達が繋がって自分達の間のギャップ(そこに病の種が育っているように見えているのです)を埋めた時、病は何処に在るのでしょうか?
神が架け橋を作るのですが。 奇跡によって綺麗に掃き清められたスペースの中でだけ神が架け橋を作ることが出来るのです。
神が「罪の恥と病の雑草の間を渡る橋」を作ることは出来ません。何故なら、神が「神が作らなかったエイリアン(異邦人)の意志」を破壊することは出来ないのだから。
それら(エイリアンの意志)の効果/結果を去らせなさい。そして、それら(分離の意図)を手にし続け、あなた自身の為にそれら保とうとするのは止めなさい。
奇跡はそれら(エイリアンの意志)を押し退けて「(神子のもとに)来ようと意図している(そして彼の子が彼自身のもとに帰ってく来る架け橋を作ろうとしている)彼」の為に空間(スペース)を作るのです。
であれば、世界の倉庫の中にあなたが蓄えようとする宝として「銀色の奇跡」と「幸福の黄金の夢」を数えなさい。
{幸福への}ドアは開け放たれています、(盗賊達に対しではなく)あなたの飢えた兄弟達の為に。 あなたの兄弟達はキラキラした石ころを黄金と見間違え、輝く雪を銀と見間違えて、それらを蓄えて来たのです。
彼等は、ドアの後ろには{意味あるものは}何も残してこなかったのです。
世界は「(永遠を切り裂いて知覚して、それを日/月/年に切り分けている)小さなギャップ」でしかないのです。
そして世界の中に住んでいる「あなた」は「神の子の切り分けられ絵」でしかなく、{切り分けられた神の子は}それぞれの土塊の中に一つづつ隠されているのです。
怖れずに、あなたの世界を奇跡が照らすことを許しなさい。
あなた達の間のギャップが在るように見られている所で、あなたの兄弟と繋がりなさい。
すると病が原因を抜きにして見られるのです。
赦しがもたらす癒やしの夢が横たわり、「あなた達が決して罪を犯さなかったこと」をあなたに優しく示すのです。
奇跡は罪悪の証拠を残さず、「決して起こらなかったこと」をあなたに証言させはしないのです。
そしてあなたの倉庫の中に「あなた自身とあなたの父を歓迎する場所」を奇跡が作るのです。
ドアが開いて{あなたの倉庫の中に}「もう飢えようと思うことなく、自分達の前に与えられるご馳走(祝祭)を楽しもうとする者達」が全員入ってくるのです。
そして彼等は「奇跡があなたのもとに来ることを求めたゲスト、あなたが招待したゲスト」と出会うのです。
このご馳走(祝祭)は「世界を夢見ている者達が示しているもの」とは確かに違うのです。
何故ならここでは、誰かがより多く受け取れば受け取る程、他の人達が分け合うものがより多く成るのだから。
ゲスト達は無限の供給を自分達と一緒に連れて来たのです。そして誰も貧しくされず、誰も貧しくしないのです。
ここに「父の子の前に父が広げて彼(父の子)と平等にわけ合う祝祭」があるのです。
そして彼等(父と子)のわかち合いの中には「(豊かさが萎んで乏しくなってしまう)ギャップ」は在り得ないのです。
ここに貧しい年月は入り込めないのです。
何故なら、終わりのないこの祝祭を時間が待つことはないのだから。
何故なら、「あなたのゲスト達をあなたから離しているように見えるスペース」の中に愛がそのテーブルを置いているのだから。
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