Apr 10, 2013

Ch26-11

The Remaining task   残りの仕事
 

彼等のプレゼンス(父と子の出現)をあなたが現実化させる為に何を解除する必要があるのでしょうか?

それは次のことだけです。
 
あなた達は「何時攻撃が正当化されており」そして「何時攻撃が不正で容認されないか」ということに関して異なる視点(DIFFERENTIAL view)を持っているのです。

あなたが何かを不正(不公平)と知覚した時、今怒りが正当化されているとあなたは考えるのです。

このようにしてあなたは「同じもの」を異なるものとして見るのです。

 

混乱は限定されていません。だから混乱が起こっていた場合、それは全面的に起こっているのです。

そしてこの{混乱の}出現が(例えそれがどのような形で起こっていたとしても)彼等のプレゼンス(父と子の出現)を隠してしまうのです。

彼等{父と子}は、明晰に知られるか、でなければ全く知られないのです。

混乱した知覚が叡智(knowledge)をブロックしてしまうのです。

これは混乱の規模の問題ではなく、混乱がどれだけ干渉しているかという問題でもないのです。

混乱の出現が、彼等の出現のドアを閉めてしまっており、それにより彼等が知られないままになってしまうのです。

 

「あなたは特定の形の攻撃を自分に対する不正と知覚する」とはどういう意味なのでしょうか?

これは「何らかの形の攻撃なら正当なものであるとあなたは考える」という意味なのです。

そうでなければ、どうしてある種の攻撃の形に「不正」という評価が与えられるのでしょうか?

その場合{何らかの形の攻撃は正当なものであるとあなたが考えた場合}、ある種の攻撃の形には意味(意義)が与えられ、正当なものと知覚されるのです。

そして{全ての攻撃が無意味なものとして見られているのではなく}特定の形の攻撃だけが無意味なものと見られているのです。

そしてこのことが{この見方が}「全ての攻撃の形は無意味で、原因と結果を持っておらず、どのような効果も持ち得ない」という事実を否定しているのです。

 

彼等{父と子}の出現は『「彼等の無垢」と「それ(彼等の無垢)が自分達自身のものであり、それがあなた達と全ての生き物に平等に所属していることに対するあなた達の認識」の間に置かれている何らかのヴェール』によって不明瞭にされているのです。

 

神は限定は加えません。

そして「限定されているもの」は天国では在り得ません。

だから「限定されているもの」は地獄であるに違いないのです。

 

不平等と攻撃は「ひとつの」間違いで、それらはとても硬く結ばれているので、どちらか片方が知覚されているなら、もう片方も見られているに違い無いのです。

 

「あなたが不正(不平等)に扱われること」は不可能です。

「あなたが不正に扱われているという信念」は、『「あなた自身ではない誰か」によってあなたが貧しく(不利に)されているというアイディア』の別の形でしかないのです。

犠牲の原因の投射が「不正なものとして(そしてあなたに相応しくない不正な結果として)知覚されている全て」の根(根源)なのです。

しかし、(神の子に対する深い不正の中で)あなたはあなた自身に対してこれを求めているのです。

あなたはあなた自身以外の敵は持っておらず、あなたは確かに彼に対して敵なのです。

何故なら、あなたは彼をあなた自身として知ってはいないのだから。

「彼のものが彼から奪われており、彼自身として在ることが否定さていること、そして彼の父の愛とあなたの愛を(彼への正当な支払いではないとして)犠牲にするように求めること」よりも不正なことが在るでしょうか?

 

「あなた自身が不正に扱われている(自分は不当に扱われている)と知覚しようとする誘惑」に気をつけなさい。

この視界の中であなたは「彼等のものではない無垢、あなただけの無垢、他者の罪悪のコストの上に作られた無垢」を探そうとしています。

 

あなたの罪悪を他者に与えて無垢を購入することが出来るでしょうか?

「彼を攻撃することによってあなたが得ようとしているもの」が無垢で在り得るでしょう?

それは「(あなたが求めていた)神の子に対するあなた自身の攻撃」への報復ではないでしょうか?

「あなたがこれに関して無垢であり、あなたの無垢にも係わらずあなたが犠牲者に成っている」と信じることの方がより安全ではないでしょうか?{その方がより安全だとあなたは考えてしまうのです。}

 

罪悪のゲームがどのように遊ばれているにしろ、「そこにはロス(損失)があるに違いない」のです。

(他者が人の無垢を奪い取って自身のものに出来るよう)誰かが自分の無垢を失う必要があるのです。

あなたは自分の兄弟があなたに対して不正であると考えるのです。 何故なら、「誰かが無垢である為には、他の人が不正である必要がある」とあなたは考えているから。

 

このゲームの中であなたはひとつの目的を(あなたの関係全体の為に)知覚しているのです。

そしてあなたは「それ(あなたの全関係)に与えられている目的」に「これ(ゲームの中であなたが知覚している一つの目的=分離)」を付け加えようとするのです。

 

聖霊の目的は「あなたの神聖なるゲストの出現をあなたに知らせること」なのです。

そして、この目的に何かを付け加えることは出来無いのです。何故なら、世界はこれ以外には無意味なのだから。

この一つのゴールに何かを付け加えたり何かを差し引こうとすることは、世界とあなた自身から全ての目的を取り去ろうとすることなのです。

そして「世界があなたの上に与えているように見えているそれぞれの不正」に関しては、

(聖霊が見ている役割を無効にして、それを無目的にしたことにより)あなたはそれ(不正)を纏ったのです。

このようにして「地球上の全ての生き物に対するシンプルな正義」が否定されていたのです。

 

「不正に裁いている(そしてあなたが裁いたように見ている)あなた」に対して不正が何をするのでしょうか? あなたには計算出来ません。

 
{あなたが不正に裁いたなら}世界は暗くなり怖ろしくなり、(あなたの道を照らそうとして)救済が持って来たハッピーな閃光は全く知覚出来なくなります。

こうしてあなたは、あなた自身を「暗闇に打ち捨てられている者、不毛な世界の中に目的無く不正に取り残された者、光を奪われている者」として見るのです。

しかし聖霊が内なる光の下に不正を持って来ており、そこで全ての不正が解消され、正義と愛で置き換えられたので、世界は公平(正義)なのです。

  
{だから}あなたがどこかで不正を知覚していた場合、次のことを言う必要があるだけなのです。


“By this do I DENY the Presence of the Father and the Son. And I would rather know of Them than see injustice, which Their Presence shines away.”
 

「{私が今不正を知覚している}これによって私は父と子の出現を否定しています。 しかし不正を見るよりも、私は彼等(父と子)を知りたいのです。 彼等の臨在(父と子の出現)が輝き不正を消し去るのです。」

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