Mar 15, 2011

あなたは愛され守られている#1

「あなたは愛され守られている
~孤独の終わり

YOU ARE LOVED AND SAFE

神の愛を体験するために

ア・コース・イン・ミラクルズ内の「奇跡の原則」に対するイエス自身の解説

この本の日本語訳は賀来由理さんとマキさんに手伝っていただきました



問題があるたび、必要があるたび、私は「あなた」に答えを求めました。
そして常に答えが与えられてきました。
私は「あなた」の手を感じ「永遠の愛」を感じます。
そして「全て」が再び平和に戻りました。


サミュエル・ロングフェロー (Samuel Longfellow
Outskirts Press, Inc.
デンバー、コロラド州




The opinions expressed in this manuscript are solely the opinions of the author and do not represent the opinions or thoughts of the publisher. The author has represented and warranted full ownership and/or legal right to publish all the materials in this book.

YOU ARE LOVED AND SAFE
Prep Notes for Experiencing God’s Love
Jesus Speaking About the Miracle Principles of His Course In Miracles
All Rights Reserved.
Copyright © 2010 Sun~Rose
V5.0
Cover photograph taken in the Arctic from United States Coast Guard Cutter Healy, © 2010 used with permission.

This book may not be reproduced, transmitted, or stored in whole or in part by any means, including graphic, electronic, or mechanical without the express written consent of the publisher except in the case of brief quotations embodied in critical articles and reviews.
Outskirts Press, Inc.

http://www.outskirtspress.com
ISBN: 978-1-4327-5118-0
Outskirts Press and the “OP” logo are trademarks belonging to Outskirts Press, Inc.
PRINTED IN THE UNITED STATES OF AMERICA



“私は高い所にある川を開き、谷の中にある泉を開ける”
イザヤ書 41:18

“I will open rivers in high places,
and fountains in the midst of the valleys,”
Isaiah 41:18




レッスン 361-365
この聖なる瞬間をあなたに捧げます。
あなたが道を示して下さい。
何故なら、あなたの指示が平和をもたらすと信じて
私はあなたの後をついて行くのだから。

“This holy instant would I give to You.
Be You in charge. For I would follow You,
Certain that Your direction gives me peace.”

コース・イン・イミラクルズ- オリジナル・エディション - ワークブックからの引用

~*~*


謝辞

私の第一の感謝は「愛の現れ」であるイエスに捧げます。私は6歳の時から彼の素晴らしい助言を受けてきました。
彼の助けと愛が無かったら自分の体験がどのようなものになったのか想像することさえ出来ません。


“Jesus’ Course in Miracles” JCIM)やCIMSACIMの一バージョン)を出版している“Course in Miracles Society” に感謝します。

*~*~*~*

そして、この本のタイトルを与えてくれたカーソンを追憶してもう一度彼に感謝したいと思います。 この本の題名を、カーソンが自身の人生に感謝して言った一番大切な真理で置き換えるよう、二日前にイエスが指示したのです。

(この本は当初 REMEMBERING THE SON(G) と題されていました)


あなたは愛され守られています。  

2010 1 21


~*~*


プレリュード


私たちは決して一人ではありません。

この本の目的は、私たちがどのように愛されているか示すと同時に、永遠に続く「平和と喜びの体験」へのガイダンス(指導)を示すことです。
しかし、この本にはもう一つ重要な目的があります。

それは、この本に示されているサポート(助け)が全ての人に対して常に与えられていると示すことです。

このサポートは自由自在にやってくるものです。
そしてあなたが、もしこれを私と同様に体験したならば、イエスはあなたのハートをその愛で完全に捕まえてしまうことでしょう。
この不断の「愛の現れ」の結果として、イエスの愛の豊かさをシェアしたい、与えたい、という熱望が私に生まれました。 彼が与え、私がそれを受け取ったのです。

イエス自身の言葉には「自由自在にあなたは受け取った、自由自在に与えなさい」 “Freely You have received, freely give.”b とあります。


彼の声を最初に聞いたのは、セントラルパークの動物園に行った6歳の時でした。しかし「この驚くべきことをしたり言ったりしているのが誰か」理解したのはかなり後のことです。
今まで受け取って来た素晴らしい助けのことを、私は何度も思い起こして来ました。 そして10年ほど前に、かつて私たちの生命が救われた出来事があったことを思い出しました。

それはまだ私の子供たちが幼かった頃のことで、私の母親が訪ねて来ていました。
そんなある日、私の夫から電話があって「家から会社まであるものを持ってくるように」と頼まれたのです。
頼まれたものを見つけて、私たち四人は1970年製のフォルクスワーゲンのバンに乗り ポート・ワシントンへと出かけました。 
この車のエンジンは後ろに付いており、タコニック・パークウェイの登り坂では時速50キロ位しか出せませんでした。 たいした加速力は出なかったのです。
もし正面衝突でもしたなら、前の席に座っている私たちと衝突物の間には僅かな金属があるだけという状況でした。

用事を済ませた帰り道、私たちは東方向の左車線を時速90キロで走っていました。これは平坦な四車線の道でした。すると突然私の目の端にキャデラックが現れ、私たちの前でユーターンを始めました。
私はユダヤ人なので、この時ジーザス・クライスト(こんちくしょう)!と言ったのは、驚きの叫びであり、祈りではありませんでした。

その時、聖なる瞬間(奇跡)としか言いようのないことが起こり、時間を無視した感じで両方の車が突然道の端に止まっていました。私たちの車は道傍に止まって西を向いており、キャデラックは我々の前に止まっていました。
私の手はそれでもまだハンドルを握り締めていたのです。
残念なことに、キャデラックから降りて謝り始めた年配の男性に対して、私は余り優しい態度で接することは出来ませんでした。

しかし今でも彼(イエス・キリスト)に対して感謝の気持ちで一杯です。この聖なる体験が、常に奇跡が待機していることを私に教えてくれたのです。

この出来事は今でも良く思い出します。 そして、この出来事の約25年後にイエスが次のメッセージを私に届けてくれました。

あなたが私の名前を罵ろうと、私に祈りを捧げようと、どちらでも構いません。私はあなたと共にいます。
こうして「今まで長い間誰が導いて来てくれていたのか」私は理解しました。

それからの数ヶ月間、彼は「彼自身の現れ」が私と共にいた多くの瞬間を思い出させてくれ、私は「あの時もあなただったの!」と言い続けました。

私たちは常にこのような「助け」を得ています。
私たちはそれを意識してはいないかも知れません。それを無視していたり、それと争っていたりするかもしれません。
私たちの選択が私たちの体験を決めるのです。

教えることに熱心な彼は、あなたは何時でも選択し直すことが出来ます。私は全ての人のために常にここにいます。 と言い続けています。
これが彼の献身なのです。

彼は次のように言っています。
あなたはこの本から「愛」の言葉を少しずつ飲むことも出来るし、日照りの後のようにゴクゴク飲み込むことも出来るし、その中に身を浸し切ることも出来ます。それは、あなたがどれだけ乾いているかによるのです。

重要なのは、あなたが「生きた水」と対面しているということです。
そこに近づいて行くに従い、あなたを出迎え歓迎している音楽が聞こえて来るでしょう。

あなたのハートのために常に用意されている場所があります。あなたの場所は絶対確保されているのです。

この本の本文はA C I M(ア・コース・イン・ミラクルズ)の中の「忘れられていた歌」“Forgotten Song ( 21  1.Forgotten Songs のテキストの一部)  から始まります。  
私(サン~ローズ)がはじめてこの歌を知ったのは、コースに関するドキュメンタリーの中でこれが読まれているのを聞いた時です。

私はこのドキュメンタリーを録画したビデオテープを繰り返し再生し、その言葉を聞きました。 そしてACIMの本の中からやっとこの文章が載っている箇所を見つけました。

奇跡の原則(Miracle Principles)は私たちの「記憶喪失」を癒します。 それは「私たちがどのように愛されているか」思い出すよう、勇気づけるものでもあります。

「愛の声」を聞き続けているポール・タトル氏(Paul Tuttle)のウェブ上の放送を聞いたことがある人は『全ての瞬間は、「私たちが誰か」思い出す可能性に満ちている』と知っていることでしょう。

ポールを通したその会合で、イエスは『ア・コース・イン・ミラクルズはエゴの検問をすり抜けて裏門からあなたのもとに来るようにデザインされています』と言いました。

私には今この瞬間、 彼(イエス)が次のように言っているのが聞こえます。
『この本「あなたは愛され守られている」は、あなたのマインドの正門から入って来るものです。』

それは美しいバラの花束や芳しい果物の籠とともに、彼の「愛」で直接私たちを包み、(「父」が「放蕩息子」やその「不機嫌な兄」を抱擁したように)エゴの思考つまり「自分のことを分離した存在だと思い違いしている存在」を抱擁しています。

「神の愛は、彼らが思考によって作った自分自身への限界を輝きによって消し去っています。」(放蕩息子の寓話:ルカ書 第15章)

これは私たちが、聖書の詩編23の次の言葉の中に見ているのと同じ「愛」です。


“Surely goodness and love will follow me
all the days of my life,
and I will dwell in the house of the LORD forever.

『生命の現れとして私が常に悦びに満ちて存在している時、「愛の善さ」と「愛の親切」は確かに私のものです。』

(これはサン~ローズが、ガイダンスを受けて解釈したものです。)6

次のセクションが、愛を思い出すためのガイダンスである「イエスのコース・イン・ミラクルズ」からの美しい言葉です。

~*~*


忘れられていた歌

今から私たちが話すことを、もしあなたが覚えているのなら、耳を澄ませて考えてごらんなさい。

聴いてごらんなさい。もしかしたら完全に忘れ去られてはいない悠久の状態をあなたは少し思い出せるかもしれません。もしかしたらぼんやりと、でも全く気付かない訳ではないでしょう。 遠い昔にその題名を忘れてしまい、あなたがどのような状況でそれを聴いていたかすっかり忘れてしまった歌のように。

この歌を全部覚えてはいないかもしれませんが、人や場所など特定のこととは関連していない、このメロディーの断片が思い出されませんか。

あなたはこのほんのわずかの部分から、この歌がどれだけ愛しいものか思い出せるでしょう。この歌を聴いていた時、あなたがどれだけ素晴らしい状態にいたか、共にこの歌を聴いていた人達をあなたがどれだけ愛していたか思い出せるでしょう。

この音符そのものは取るに足らないものです。それでもあなたはそれを手元に置き続けました。「それがどれだけ、あなたにとって大切だったか」思い出したなら泣いてしまうだろうことをそっと覚えておくために。

あなたは思い出すことが出来るのです。しかし、その歌を思い出したら、それ以降に覚えた世界が失われてしまうと信じているから、あなたは恐れてしまうのです。

しかし、この世で学んだ全ては、この歌が示していることの半分も大切ではないとあなたは知っています。

耳を澄ませてごらんなさい。そして、遠い昔にあなたが知っていた歌を思い出せないか試してごらんなさい。

それは他のメロディーよりも、最近になって大切にするようにあなたが自分に教えた歌よりも、親密な悠久の歌です。 

体を越えて、太陽も星も越えて、あなたの見ている全てのものを越えて、それでいてやはり慣れ親しんでいるもの。それは偉大な輝く円をあなたが覗き込むにしたがって、引き伸ばされより大きくなっていく黄金の光のアーチです。

そして円の全ては、あなたの目の前で光に満たされます。
円のふちが消滅し、もうその中に何も閉じ込めることはできません。
光が広がり、全てを覆い、永遠に光り続けて永久へと伸び広がります。 そこには限界や境界線はありません。
その中では全てがパーフェクトに繋がっています。

その外に何かが存在していると考えることさえ不可能です。何故なら、この光が届かないところは存在していないのだから。

そして今、盲人達の目が開きます。何故なら、彼らが自分たちの創造者を称えて歌った同じ歌が、彼らに対する賞賛をも与えているから。

彼らが作った盲目はこの歌には耐えられません。そして彼らは神の子のヴィジョンを見て自分達が誰のために歌っているのか思い出すのです。

これを思い出すことが奇跡でなくて、何が奇跡なのでしょう?
そしてこの記憶を持っていない人などいるでしょうか?

ひとりの中の光が、全ての人の中の光を目覚めさせます。
そしてあなた達がお互いの中にこれを見たとき、あなたは全ての人のために思い出しているのです。



(ア・コース・イン・ミラクルズ 第21  1.Forgotten Songs. からの抜粋)



~*~




本書のレイアウトに対する説明

前のセクションの「忘れられていた歌」(Forgotten Song)と、下記のACIM第一章「奇跡の原則」(Miracle Principles)のテキストは、JCIM版の”A Course In Miracles” のワード文書のテキストから取り出したものです。

コースは奇跡そのものです。 そして私はヘレン・シャックマン(Helen Schucman)がイエスの声を聞き、このような美しさで表現出来たことに深く感謝しています。

私は、イエスの現在のガイダンスを付け加えること以外は、コースのテキストそのものに手は加えませんでした。 

コースのテキストとその翻訳文は太文字で書かれ。ガイダンスによって付け加えられた部分(そして訳者が日本語のために必要だと感じた追加部分)は細い普通の文字で書かれています。

=イエスは、「私たち全て」の神聖と平等を示すために、彼が「あなた」に与えている愛と尊重を表現するために、「あなた」と「私」という代名詞を両方大文字で表記するように指示しました。

ガイダンスを受けて私が書いた文の中で「あなた」と書かれているのを見たら、「彼」が「あなた」に話しかけているだけでなく、「彼」が「あなた」を尊重し称えていることも知っていて下さい。

(日本語には英語と同等な大文字小文字の区別は存在していません。 出来るだけこの書き分けを尊重するように「私」/「あなた」を使って書いてみたところ、とても読み辛くなってしまいました。
ですので、この書き分けは本書の日本文には反映されていません。  訳者註)


~ ~

イエスのア・コース・イン・ミラクルズ(序説)

これはもちろん、「私」があなたに与えているという意味においてだけ、「私の」コースなのです。 私の美しい兄弟姉妹よ。

これは「夢見ている人達へのイエスのギフト」と言っても良いものです。

私がこのギフト差し出している目的は、ここで差し出されている「愛」というギフトがわたし達(あなた達全員と私)のものであることをあなた達に気付かせ、あなた達を全員目覚めさせることです。

分離をもとに思考を行っているあなたに、どのようにしてこの「愛」を説明すればよいでしょうか?

愛が「全て」です。この「全て」が全てを含んでいるのです。
あなた達の誰一人として、この愛から疎外されてはいません。 このことに例外はありません。

全ての人が愛の中に含まれているだけでなく、全ての人が絶対に必要なのです。 全ての人が愛のために必要です。あなたがいなければ、それは愛ではなくなってしまいます。

そして私は躊躇することなく、あなたを無条件に愛しています。
私があなた達全員一人一人に話しかけていることを理解してください。

たとえあなたがこれを読んでいなかったとしても。自分のことをあなたがどれだけ悪く、あるいは良く考えていたとしても。 どれだけ意地悪で貧しく、あるいは裕福で気前が良かろうがケチだろうが、知性に溢れていてもいなくても。あなたがどのようなカテゴリーや人種や宗教によって自分を定義しているにしても、私はあなた達全員に話しかけています。

あなたは、神にとって、私にとって、全てにとってかけがえのないものです。


ヘンリー・ヒギンズ(Henry Higgins)の詩とは違って、あなたなしで太陽が昇ることはあり得ません。あなたなしで鳥たちが歌うこともありません。あなたがいなければ潮は満ち引きしません。あなたなくして春は来ません。

あなたは「あなたの創造者」から絶対的に必要とされており、「愛」されているのです。(2006年4月27日)


~*~*

2006428

次のセクションのテキストは、ACIM(ア・コース・イン・ミラクルズ)の第一章の初めの部分です。

これはイエスが奇跡の原則に対してガイダンス(指示)を与えている部分で、1972年に、ヘレン・シャックマン(Helen Schucman)とウイリアム・セットフォード(William Thetford)がヒュー・リン・ケーシー(Hugh Lynn Cayce)に与えた草稿の中に書かれていました。

私が付け加えているガイダンは、主に2006年に半年にわたって授けられたものです。その後2009年から現在にかけて説明が付け加えられています。

この期間とても多くのストレスをもたらす問題が私の上に起こっていたのですが、これらのガイダンスは多くの平和と喜びをもたらしてくれました。

このガイダンスの最後の部分を聞き取っているとき、私はとても難しい体験をしていたのですが、それでもガイダンスのおかげで私は静寂で平和な状態に留まることが出来ました。

そして、この問題は7日間で解決しました。思っていたよりもとても短い期間で終ったのです。これは素晴らしい奇跡でした。

この体験に対する感謝と感嘆、その上思ってもみなかった利益までもたらされたことは、今日のこの日も強く私の中に残っています。

真摯な心でガイダンス(指示)を熱心に求めれば、必ず祝福が与えられるのです。

奇跡は起こるのです。そして私と私の娘にとって、これは聖書の中のマラキ書3:10に書かれていることの素晴らしいデモンストレーション(実例)でした。

スピリチュアル的に言えば、私たちが自分達自身を「ギフト」として精霊に与えることこそが「支払い(tithing=聖書に書かれている古代の十分の一税)」なのです。

そして「ギフト」により心を込めることが出来たなら、それだけ多くの祝福が与えられます。

『「全ての税(支払い)を倉庫に集めなさい。私の家に食物があるように。そしてこれを持って私を証明しなさい。」とホストたちの主が言いました。 私があなたのために「天国」の窓を開けましょう。 そしてあなたに祝福を注ぎ込みましょう。 あなたがそれで満たされるまで。』


こうして私たちは二つの場所に立つことが出来るのです。
「神」が輝く祝福として私たちを他者に流し込むことを私たちが許可すれば、私たち自身も祝福を受け取る事が出来るのです。

こうして私たちは、「神」が「愛」であるという事実を本当に理解し始め、次の言葉を歌い出します。 
「私の杯が溢れている」 “My cup runneth over.”  詩編 23 


~*~*

フォンテインのポエム:

イエスが「あなた」に奇跡を与えます
小さな子供でさえも葉の上のしずくを見て、その奇跡を喜ぶものです。
では何故、私たちは自分達の望む奇跡を見ることが出来ないのでしょうか。イエスが言うには、私たちに見える範囲では、奇跡はやって来てより大きく育ちます。 このようにして私達は自分達が何処に行くべきか知るのです。
{だから、私たちが自身で奇跡をコントロールする事は出来ないのです。訳註} 


(2010年 5月5日、このポエムをフォンテイン(Fontaine)が受け取りました。 上記の言葉が彼女の上に突然降って来たのです。下にその時の様子を書き記しています。)

「聞くこと」は素晴らしいことです。それはインスピレーションをもたらすだけでなく、楽しいことでもあります。

少し前、私は親しい友達のフォンテインのために本を読んでいました。 すると突然彼女が優しい声でこう言ったのです。
イエスが「あなた」に奇跡を下さるでしょう。 彼女は信頼に満ちた小さな女の子のようでした。私の心はとても動かされました。だから私たち全員がこの様な信頼を感じられるよう、私はこれをここに書きました。

今晩彼女と私がそれについて話している時、上記のポエムが急に彼女の上に降って来ました。 二番目の行が不自然でしたが、不意にそれをどう表現するべきか私に聞えてきました
彼女のガイドとイエスが私たちと遊んでいたのです。
そして私たちは突然訪れるこれらの素晴らしい時間をあなたとも分かち合いたいのです。

「あなたのガイド」はあなたに招かれることを待ちかねています。 これはとても親密な関係なのです。

私たちは本当にとても愛され守られています。


愛と共に
サン~ローズ


~*~ *

第一章
奇跡へのイントロダクション


2006年4月30日

これはあなたの人生が奇跡であることを思い出させるための本です。 

だから私はもう一度奇跡をあなたに紹介し直すことによって、「あなた」を「あなた自身」に紹介し直しているのです。

This is a course in miracles. – A living class – a teaching about All of Us by Someone who remembers to Those who have forgotten. It is a required course. Only the time you take it is voluntary. Free will does not mean that you can establish the curriculum. It means only that you may elect what you want to take at a given time. 

これは奇跡のコースです。 これは生きたクラスルームで、「私たちがどのような存在かまだ覚えている者」がそれを私たち全員に教えているのです。これは必修科目です。貴方に決めることが出来るのは、「これをいつ始めるか」だけです。自由意志とは「貴方がカリキュラムを自由気ままに組める」ということではなく、「どの時点で何を学ぶか」を選択することが出来るということなのです。

ここでの主題は「あなたは、どれだけの痛みに耐えられますか?」です。 何故なら「愛」から隔てられている人生経験は苦痛でしかないから。 あなたは空白を埋めようとして、空虚な心を埋めようとして、食べ、飲み、薬を飲み、愛を交わし、お金を稼ぎます。しかし、それらがもたらす満足も長くは続きません。


The course does not aim at teaching the meaning of love, for that is beyond what can be taught.

コースは、愛の意味を教えるためにあるのではありません。何故なら、そのようなことを教えるのは不可能だから。

「愛」があなたの「存在」そのものなのです。
それを「知る」唯一の方法は、あなたが思い出すこと、あなたが繋がり直すことです。あなたは自分一人の行動を長く続けたあまり『「全体」からサポートされること』がどのようなものか忘れてしまいました。


It does aim, however, at removing the blocks to the awareness of love’s Presence, Which is your natural inheritance. The opposite of love is fear, but what is all encompassing can have no opposite.

このコースの目的は「愛の現われに気づくこと」への妨げを取り除くことです。愛の現れに気づいていることこそがあなたの自然な財産なのです。「愛すること」の反対は「恐れること」です。しかし『「全てを内包しているもの」に対立しているもの』は存在していません。

そして「愛」が全てを内包しているのです。
そこには「全ての人」が含まれています。 
あなたは恐れなく生きることがどのようなものか忘れてしまっています。
恐れがない状態が「平和」だと言うことも出来るでしょう。 と同時に「愛の現れ」に気付いていることが平和なのです。


This course can therefore be summed up very simply in this way: Nothing real – and You are Real – can be threatened. Nothing unreal exists. Herein lies the Peace of God. as You.

このコースは下記のように要約する事が出来ます:
リアルであるものは(そしてあなたはリアルです)脅かされる事がない。「リアルでないもの」は何も存在していない。ここに「神の平和」が(あなたとして)存在しています。


2006年5月3日

「平和」は、その姉妹である「愛」と同じように、あなたが手に入れ維持出来るようなものではありません。それをあなたの目(あなたの限定された視界)に適った兄弟姉妹だけに限定して与えることは出来ません。

「平和」があなたの「存在」の礎です。しかし、それは『「人生/生命」とあなたが呼んでいるもの』への様々な心配事の背後に隠されています。

「理解」という言葉の本来の意味(Understanding=あなたが立っているその下にあるもの)において、「平和」があなたの「本質/実体」なのです。 

あなたの真の「平和」は、あなたが「知って」いる神(あるいは「リアリティ」)から流れて来ます。 あなたの「平和」は愛と完全に同じものです。

あなたの「平和」からは愛だけが流れ出て来ます。そして愛が「表現者」なのです。いいえ、より適切な言葉がありますね。それをよく聞きなさい...
「愛」は「泉」です。「愛」は「源」であり、「平和」が存在する「状況」なのです。

普通の生活の中でさえ、誰かを嫌っている時に平和を感じることが出来ると思いますか?

平和と憎しみを融合しようとする試みは馬鹿げたことです。何故なら、人はそのどちらか一つを選ぶ必要があるのだから。 あなたは右折と左折の両方を一度に行うことは出来ないでしょう。 あなたは「自分が乗っている馬が進んでいる方向へ行くように定められています」3

一瞬一瞬の中で(平和/憎しみの)選択が行われ続けています。そして素晴らしいことに「あなたはいつでも選択し直せる」のです。

怒りと憎しみの苦闘の中で、このように平和を選ぶことは、いかにも大変に思えるでしょう。 しかしあなたのそばには助けが控えています。

選択することに関してあなたは一人ぼっちではありません。 あなたの助けは 自分の息よりも近い 4 のです。

私が以前も言ったとおり あなたは、「あなたの弱さ」と「キリストとしてのあなたの強さ」のどちらかを選んでいるのです。

それは本当にキリストとしてのあなたなのです。何故なら、「私たち」は同等なのだから。「私」は決して自分のことを「汝より神聖な者」とは呼びませんでした。

「私」はここにいて、それぞれの瞬間に「あなた」が自分の神性を思い出せるようにしようとしています。そしてこれは美しいことなのです。

サン~ローズ、これを理解することを自分に許可しなさい。
「私たちの兄弟姉妹」にこのコミュニケーションを届けるためだけに、私があなたに話しているのではありません。

私はあなたにも直接話しています。「それ以外(人間的状況以外)のことが起こっている」と気づいていながらも「人間」のフリを続けるのは止める時が来ています。

あなたはこれをするためにここに居るのです。 全ての人がこれをするためにここに居ます。あなたの神聖に関して私は話しています。「あなたに関する真理」である「神聖なる性質」について私は話しているのです。

あなた達は全員、常に「特別」に成ろうとして来ました。 
それが「神」から分離しているフリを続けることの「報酬」でした。

しかしあなた達全員は既に特別なのです。「創造」の全ての部分と共に「あなた達全員」は特別なのです。 『「神」は「私たち」をそれぞれに愛しています。あたかもそこには「私たち」が一つのものとして存在しているかのように。』5と聖オーガスチンが言ったとおり。

求めさえすれば、あなたは今これを感じることが出来るのです。

3 comments:

  1. 著作者サン~ローズ(Sun~Rose)の許可を得て
    彼女の本”You are Love and Safe”の日本語訳
    ”あなたは守られ愛されている”を公開します。

    ReplyDelete
  2. 無駄なチェーンメールと思われてしまうかも? と少し不安になりながらも、日本赤十字やAmerican Red Cross への募金を呼びかけるE-Mailをアメリカ在住の知り合いの方々に送りました。

    物凄く多くとはいえませんが思った以上の反応がありました。
    私の住んでいるコンドミニアムの住民会会長と管理人さんがそれぞれに、「より多くの人達にこの情報を伝えても良いか」と言ってきてくれました。
    私の昔の先生達や友達や友達の奥さんも協力してくれています。
    まだこれからですが、世界が日本を支持しています。

    アメリカのテレビが結構軽率な発言をしているように見えることは残念です。
    しかしそれも赦しましょう。 神と神の子以外は存在しないのだから。

    ReplyDelete
  3. 著者サン~ローズへのメッセージは下記に英語でお願いいたします。

    sunrose101@aol.com

    ReplyDelete