Revelation unites Souls directly with God.
啓示は、魂達を「神」と直接一つにします。
もう一度言いましょう。 啓示とは「神」が「あなたのマインド」に「成って」いる「マインド体験」なのです。
あなたは既に「神」と「ひとつ」であって、その「ワンネス/一体性」から隠れているだけなのです。
Miracles unite minds directly with each other.
奇跡はマインド達を(お互いと直接)ひとつにします。
より正確には、「奇跡は、マインド達に彼等自身のワンネス(一体性)を体験出来るようにするのです」。
Neither emanates from consciousness, – because the Oneness is What Consciousness is. And It is always a shared experience because of Oneness; (but) and both are EXPERIENCED there. – as Consciousness.
(奇跡と啓示は)どちらも意識から輝き出ているものではありませんが、 何故なら意識とはワンネス(一体性、ひとつであること)なのだから。 そしてワンネス故に、意識は常に共有されている体験なのです。
どちらも意識の中で(意識として)体験されるのです。
それは何故でしょう?
何故なら、「意識」だけが何かリアルなことが行われている唯一の「領域」だからです。
あなたは先に進みたがっていますが、ここで一旦止めましょう。
これを自分の中に染み込ませなさい。
(あなたにとって手が掛かるように見えている)サラ共に「マインド」の「ワンネス」を実践しなさい。
2006年 6月19日
“世界は「神の子」の磔(はりつけ)の絵(構図)です。” という文を読みながら、あなたは私の思考を受け取りました。
確かに「神の子」は彼自身/彼女自身を磔にしているのです。
「物質」の体験は全て「はりつけ」、つまり「痛み」か「痛みの示唆」の経験です。
昨日も言ったとおり、「意識」としての「生命/人生」は純粋な「喜び」なのです。
エディー女史が言ったように、「愛に痛みはなく、痛みに愛はありません」。
「休みなく痛みをもたらし劣化し続けるもの」を「神」が発明したと人々が考えるのは、つまり消えない痛みと劣化の体験を「神」が発明したと人々が考えるのは、「神」を全く理解していないからです。
奇跡は、物質の法則を脇に退けるのです。
すると物質の体験が少しづつ弱くなっていくのです。
物理的法則への確信/信頼が少しづつ弱くなっていくのです。
そして「重力と時間は何時でも働き続けるものだと思っていたけど、違うらしい。 フーム。」と言えるようになるでしょう。
奇跡の体験は、(あなたが今まで見てきた)物事の確実性を(少なくとも少しは)疑わせるものなのです。
わずかでも物質的構造のタイルが崩れ始めた時、「物質的概念は、最終的に全て崩壊する」と、あなたにも理解できるようになります。
これ故に、奇跡は往々にしてマインドの隅に押しやられ、後回しにされ、顧みられることがないのです。 あるいは『「神」がその自然な法則を、(しかし不自然にも)誰かのために特別な計らいとして与えることが奇跡なのだと』解釈してしまうのです。
人がこのように考えている限り、奇跡がその信念システムを劇的に変えるためには、その人の人生を全く変えてしまうほど強烈な体験が必要になるのです。
エゴがどれだけ熱心にその陣地をガードしているか解りますね。 そしてエゴが自分の陣地だと考えているのは、あなたのマインドなのです。
いずれにしろ、ワンネス(一体性)と奇跡は両方とも「意識」として体験されるのです。
(あなたは自分の外側で何かが行われていると考えるのですが。)
しかし何かが起こり得る唯一の場所は「意識」だけなので、そして体験は本当は意識の中で起こっていることなのだから、それは意識の中で認識される必要があるのです:
This is essential, since consciousness is the state which induces action, though it does NOT inspire it.
これは必然なのです。何故なら意識とは、行動へのインスピレーション(霊感)を与えるものではなく、行動を誘発している(起こさせている)状態なのだから。
「意識とは行動を誘発している状態なのだから。」?
{意識とは、「マインド」から伝えられていることをより実際的な行動に転換している状態なのだから。}
これはどういう意味でしょう?
「科学と健康」の次の文章が、ここに当てはまります。
“「マインド」が全ての「動き」の「源」です。その調和に満ちた永遠の行動を押し留めるものはありません。”19
あなたが物質だと考えているもの(状態)の中でさえも、マインドの指示無く筋肉が動くことはありません。
だから上の文章を意識的に理解するだけで、交通渋滞を解消することが出来るのです。 これがあなたの「体」にとって何を意味するか解りますか?
「マインド」とは「動きそのもの」です。
「意識」が最も静かな時、それは「良きこと」の無限の可能性で溢れています。
2006年6月20日
そして、まだ現れていないこれら全ての可能性は「見よ、これはとても良い。20」の翼の中で厳かに待っているのです。
Man is free to believe what he chooses,
人は自分が選んだことを信じる自由を持っています。
「神」の略奪者としての人(と人々は自分のことを信じています)が、自分で自分を創造した世界の総統者が、全てに対する「神から授かった主権」を使用している、と考えられています。
しかし、「神」が「神の子」に与えた主権は、「子」以外の何を統治できるのでしょうか?
どのようなおかしな神が「子」に対して、『自己のワンネスを破り、自己を共食いすることが出来る、あなた自身の「存在」の一部を分離させてそれを食らうことが出来る』などと言ったのでしょう。
世界がこのように見えている理由をあなたは知っていますか?
それは「神の子」が、「知る」のではなく「考え」ようとしたからです。
そして思考は『「神の子」が信じたいと願ったこと』を示しているのです。
and what he DOES attests to what he believes.
そして「その人がしていること」が「その人の信じていること」を明らかに示しています。
こうしてあなたは、カオスとしか言いようのない世界を得たのです。
「天国」の「喜び」と輝ける「秩序」が、(その醜さを自分の創造として主張出来るのなら)『「美しさ」ではなく醜さを見たい』という「子」の奇妙な欲望によって、歪められ、狭まれ、分割されたのです。
しかし「子」が実際に行ったのは、幻想を見ることだけでした。
「天国」は、「子」が「故郷」と「正気」へ帰って来るのを辛抱強く待っています。
2006年 6月 21日
あなたとサラがローラースケートをしていて、彼女が癇癪を起こし始めた時に、わたしの言ったガイダンスとコース(ACIM)の中の次の文章が良くフィットしていることに気付きましたか?
教養深かった スイート(Swete) 氏の言葉を借りて言えば:
そこに居る「キリスト」は、(神の子により)自発的に放棄されているのですが、それでも損なわれずに存在しています。21
だから:
The deeper levels of the subconscious ALWAYS contain the impulse to miracles,
無意識のより深いレベルは、常に奇跡への衝動を抱えています。
何故なら、「キリスト」を放棄したのは「キリスト彼自身/彼女自身」でしかないからです。
(この文章がおかしく聞えるなら、それはまだあなたが、キリストを特別な者と考えているからです。 訳注)
そして「リアリティ」は夢に対して常に「目覚め」を押し出しています。
この押し出しが「奇跡への衝動」なのです。
but man is free to fill its more superficial levels, which are closer to consciousness, with the impulses of this world, and to identify himself with them.
しかし、人はその表層意識を「この世界の衝動」で満たし、それらを使って自己を定義することもできるのです。
夢の思考が、それ自身をエゴとして認識しているのです。
そのように見えるのです。
その場合、意識は全てに与えられるのではなく、それ自身(だとエゴが考えているもの)を中心に据えられてしまいます。
もう一度この重要な点を明確に言いましょう。
「夢見ている人」が「自分は何かをしている」と考えたとしても、それが「リアル」になるわけではありません。
「リアリティ」は存続し続けています。「夢見ている人」の「夢」が行われているように見えている場所とまったく同じ所に「リアリティ」がそのままあるのです。 そして「神に譲っているマインド」は、いつでも「リアリティ」を体験することが出来るのです。
この夢は何をもたらしているのでしょう?
This results in DENYING himself –herself, yourself – access to the miracle level underneath.
これが、(下に隠れている)奇跡のレベルへのアクセスを彼自身が(彼女自身/あなた自身が)拒否するという結果をもたらしています。
そして奇跡の否定は、「存在し続けているリアリティ」を否定することです。
これは、実存していないエゴにあなたを演じさせることの、とても高い代償ではないでしょうか?
そしてこれが、あなた達全員が自分達のために作ったとても危険な(とても危険に見える)世界に、無意識の根拠を与えているのです。
危険な状態(特に生命に関わる非常に危険な状態)は常に、「見ることの出来ないもの」へと手を伸ばして(この世界の中では見つけることの出来ない)助けと安楽を得ようとする衝動を表しているのです。
(その様な衝動が、危険な状態として表れているのです。訳注)
In his actions, then, his relationships also become superficial, and miracle-inspired relating becomes impossible.
それ故に、彼(神の子)の行動そして彼の関係も表層的なものになり、奇跡からインスピレーションを受けて関わり合いを持つことが不可能になるのです。
あなたの奇跡への衝動をブロックすると、(「リアルな愛」の「体験」を内包している)「リアリティ」へのあなたの自然な欲求もブロックされてしまいます。
そうして、あなたは(生き残りモードに基づいた)エゴを賞賛すること(これがこの夢の世界の中で愛と呼ばれているものです)で自分を慰めなくてはならなくなります。
どれだけ頑張っても、これは「他者を脅かさない生存状態」以上のものはもたらしません。
あなたが「愛」を急に思い出したなら、それを味わったなら、あなたは自分が何のために「神」を売り渡したのか理解します。
あなたはポタージュ(レンズ豆のスープ )のために自分の「持って生まれた権利」を売り渡してしまったのです。22
そしてあなたが得たものは、つまらない食事、本当につまらないものでした。
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