Mar 8, 2011

カフェの青年

先週、家のすぐそばのコヒーショップで新約聖書を読んでいました。
すると片手に包帯を巻いた一人の青年が私の傍にやって来てこう言いました。
That’s a great book you are reading.』(素晴らしい本を読んでいるね。)
「ええ、あなたはクリスチャンなの。」
『うん、仲間とこの近くに新しく教会を開くつもりなんだ。シアトルのダウンタウンに教会を開く場合の問題的(気をつけるべき事柄)とか、あなたは思いつきますか?』
「パーキングじゃない?」 『ハハハ』

真摯で大らかな青年です。 大学院で牧師になる勉強をしていただけあって、聖書にもとても詳しいです。
難しい話が始まってしまったので、まずは「二つのステップ」に戻りましょう。
彼が色々話してくれています。 彼の横で私はそれを聞いています。
出来るだけ自分の意見を差し挟まず彼の言葉を聞きましょう。
神はここで何を私に知らせたいのでしょう?

ACIMに関して話してみると、それを即座に否定することはなく、しかし『バイブルにはFalse Prophets False Messiahs(偽の預言者や偽の救世主)に関して注意が書いてあるし、誰かがイエスと直接話して独自の教えを述べている場合には注意するべきではないか?』というのが彼の意見だったと思います。  

私が言おうとしたこと(言いたかったこと)は「聖書は素晴らしいものだけれど、キリスト教/ユダヤ教のバックグラウンドを持っていない人にとっては受け入れ難い部分、自分とは無関係に思える部分もある。 確かにACIMは理屈っぽく難解ではあるけれど、私にはこれだけの抽象化を通してキリスト教を見ることが必要だった。ACIMのような本がなければ、キリスト教を良きものとして捉えることは私には出来なかったと思う。 私にとっては、全ての権威を聖書そのものに与えることは、神を無視する行為に思えるのだけど。」でした。

彼とはまた会いたいです。

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