2006年9月30日
私の神聖なるワンネス(私の神性、リアリティとして存在すること)として私が感じている平和こそがあなたの探しているものなのです。
あなたはこれが、他者から得られる、お金から得られる、他者の同意から得られる、力から得られる、非情から得られる、ものから得られる、勝つことから得られる、過去から得られる、未来から得られると考えています。
しかし、これはどこにも見つかりません。 つまりこれは「どこにもない所」で見つかるのです。
平和は、いまここに「あなたそのもの」として見つけることが出来るだけなのです。
これが真のあなたです。あなたが居るそこに「平和/神/良きこと」の現れがそれ自体を表現しているのです。
そして「自分の魂を売り渡した」代償として何と貧しいものをあなたが受け取ったのか見てみなさい。
This sense of separation would never have occurred if he had not distorted his perception of truth, and thus perceived HIMSELF as lacking.
彼が真理に対する自分の知覚を歪めなかったなら、このような分離感覚は起こり得ませんでした。 そして彼が自分のことを「何かを欠いている存在として」知覚/認識することもあり得ませんでした。
つまり「神」から独立しているフリをすることが「楽しい」とあなたが考えなかったなら、痛みなどは存在するはずが無かったのです。
そして下記の文章が述べているような狂気も起こり得なかったのです。
The concept of ANY sort of need hierarchy arose because, having made this fundamental error, he had already fragmented himself into levels with different needs. As he integrates – literally one yourself – HE becomes one, and his needs become one accordingly.
あらゆるタイプの必要ヒエラルキー(上下構造)の概念が発生したのは、この基本的な間違いを始めた時、彼は既に自身を「異なるレベルの必要を持ったもの」に分離し始めていたからです。彼が統合を行なっていくに従い、彼はひとつになり(あなたはひとつになり)、それに従って彼の必要も一つにまとまって行きます。
あなたがひとつに成るのです。 そしてあなたのひとつの(唯一の)必要とはリアリティだけなのです。
2006年10月11日
Unified need produces unified action because it produces a lack of ambivalence.
統合された必要は、統合された行動をもたらします。 何故なら統合された必要は(相反する感情を同時にもつことから来る)葛藤の欠如をもたらすからです。
それは夢とは、全く異なった在り方です。
あなた達全員の全く貧窮した状態が、あなた達の全行動を決定しているのです。 あなたがそれを(自分達の貧窮状態を)「愛」でもって克服しない限り。
The concept of a need hierarchy, a corollary to the original error that man can be separated from God, requires correction at its own level, before the error of perceiving levels at all can be corrected.
必要のヒエラルキー(上下構造)という概念は、人が「神」から分離出来るという大元の間違いから派生しているもので、知覚レベルで起こっている間違いが修正される前に、それ自体の(人が「神」から分離したという間違いの)レベルで修正が行われる必要があります。
The concept of a need hierarchy,
必要のヒエラルキー(構造)という概念、
「必要ヒエラルキー」をもう一つの言い方で表現してみましょう。
それは、あなたが「生命」と呼んでいる限定されたもののために必要だと考えている「相互合意されている定義」の総体です。
(あなたは「生命」を物凄く限られたものとして定義してしまいました。
そして、この「生命」の存続のためには様々な条件が必要であると定義/仮想し、この夢を共有しているほかの人達との合意の上にこの定義群が破られないよう注意深く行動しているのです。 訳注)
だから空気が一番大事で、その次に水で、その後には食事が必要であると定義がなされているのです。
あなたの夢の中のルールは何と奇妙なのでしょう。
『「愛」だけが生命/生活である』34リアリティと比べて、これは何と不思議な状態でしょう。
「神」とは「愛」のもう一つの呼び名なので、「神/合一/ワンネス」だけが、神が「合一/ワンネス」であることだけが、唯一の必要なのです。
あなたの全て(あなた達全ての美しい神性)の真理が、あなたの必要に対する答えなのです。 それは、あなたに再び受け入れられることをただ待っているのです。
だから『「神」から離れた複数の異なった(相反する)必要が存在している』というアイディアそのものが、
a corollary to the original error that man – You or anyone – can be separated from God, – and thus this strange idea requires correction at its own level, before the error of perceiving levels at all can be corrected.
(必要のヒエラルキー(上下構造)という概念は、)人が(あなたが、あるいは誰かが)「神」から分離出来るという大元の間違いから必然的に派生しているもので、知覚レベルで起こっている間違いが修正される前に、それ自体の(人が「神」から分離したという奇妙なアイディアの)レベルで修正が行われる必要があります。
『人が「神」から分離出来る』というこの奇妙なアイディアはどのレベルで修正されるべきなのでしょうか?
それは狂気のレベルで修正されるべきなのです。
「狂気」よりも分かり易い言葉で言ってみましょう(しかし、これは全く狂気なのですが)。
「狂気」を別の表現で言えば「自分勝手/自己中心的」になります。
天国にとって、「自分勝手/自己中心的」は自分の中には存在していない、全く理解できない概念なのです。
だから、(自分達は分離してしまったと考えている人達を)助けるためにここに居る者達にも(分離を信じている人達を)助けることは困難なのです。
彼等の中には「自分勝手」が無いので、彼等は自分達が受け取った憎しみを理解することが出来ませんでした。
他の人を憎むことは、あなた自身を憎むことなのです。
だから「愛」とワンネスだけに慣れ親しんで来た「マインド」には、初めのうち何が起こっているのか理解出来なかったのです。
そして無防備で理解の伴っていないその状態では、わずかでも意識が開き出すまで辛抱強く待つことを学ばない限り、彼等には助けることが出来なかったのです。
これには、たとえ僅かであっても助けを求める声が出てくるまで、幾千年もの間辛抱し待ち続ける必要がありました。
これは偉大なラブストーリーです。35
Man cannot behave effectively while he operates at split levels.
様々なレベルに分裂している状態から行動している限り、人は効果的な行動をとることが出来ません。
このような狂気のレベル(状態)にいた場合、再び「愛」しようと思えるようになることさえ困難だったのです。
私が、これに成功した一番初めの者だったのです。
初めの内、生き残りを賭けて容赦なく他者を押しのけ自己を訴えて騒ぎ立てている自己中心的なマインド達の中で、私の「マインド」を「神」と一緒に保つためには、「神」に対する私の全ての「愛」が必要でした。
しかし私がそうすることを何度も学び続けているうちに、「愛」だけが私の意識の中に在るようになったのです。
そして、全ての人を束縛から解放することが、私の喜ばしい仕事になりました。
そしてこの本を読んでいる全ての人に対して私は言いたいのです。
『あなたの求めている「愛」で全ての人を「愛」することが出来るようになりなさい。』
頑固に夢見続けているこの惑星では、これこそが必要とされているのだから。
次の文章にそのための指示が書かれています。
However, while he does, – operate at split levels – correction must be introduced from the bottom UP.
彼がそうしている間(分離したレベルから行動している間)、修正は下から上に向かって導入される必要があります。
だからわたし達は、自分勝手/自己中心から始めて、それを理解ある「愛」で迎えることに関して話しているのです。
ここで言う理解とは、『たとえ憎しみが「愛」を犠牲にしようとしても驚かない』と言うことです。
このように、わたし達は挑発されたり反感を突きつけられても『「愛」で在り続ける「愛」』35なのです。
これが問題を解除する「修正に成る」、そして「最上の教師に成る」ということです。
This is because he now operates in space, where concepts such as “up” and “down” are meaningful. Ultimately, space is as meaningless as time. The concept is really one of spacetime BELIEF.
これは彼が(上下の概念が意味を持っている)空間内で動き回るようになってしまったからです。しかし最終的には、空間は時間と同様に無意味なものなのです。この(上下の)概念は実際には、時空に対する一つの信念でしかありません。
あなたは、神聖なるもの(つまり「神」)の中に、神聖なるものとして存在するように作られているので、神聖が不足している状況は大きな混乱をもたらすことになります。 それ故に「愛の領域」の代わりに、時間と空間という構造と限定が発明されたのです。
そして時間と空間は、神の子に対する非情な暴君なのです。
時間と空間のペアは、我々というワンネス=親密感を壊し、我々の永遠の存在を引き裂くのです。
しかしあなたは時間と空間を大切にしています。 何故ならそれらはあなたが「神」から離れて「創造」したものだからです。
これは愚かな行為でしたが、幸いなことに、時間と空間を捨て去ることは簡単なのです。
必要なのは私があなたから求めている「少しの意志、少し譲る意志」だけです。
2006年10月12日
The physical world exists only because man can use it to correct his UNBELIEF, which placed him in it originally.
物理的世界は、人がそれを使って自身の信念(それが人を物理的世界の中に置いたのです)を修正することを可能にするためだけに存在しています。
物理的世界と呼ばれているものは、あなたの信念故にそのように見えているだけなので、上記の文に関して説明する必要があります。
「物理的世界」とよばれているものは、頑固で理解力の乏しい神の息子達が自分達の正しいマインドを取り戻すまでの期間、彼等を住まわせておく所として「神」が創造したものではありません。
「物理的世界」とは暗いガラス(より正確には厚いガラス)を通して見た天国のことです。 これを理解することが大切です。
「創造」の他の部分から分離するために、自己の中に閉じ籠もろうとすることが、「あなたのマインドと呼ばれているもの」の中で誤創造を行ってしまいました。
これが重い闇の体験を作っているのです。
自己中心的になってしまった神の子は、天国の光(つまり「愛」)が眩しくなってしまい、自分の第三の目を閉じてしまいました。
第三の目とは、「長さ/幅/深さ」という三次元の限定されている感覚を「スピリット(霊)/光/無限の永遠」へと変容させるものなのです。
だから、全てが限定されており重く暗いように見え始めました。
そして分離し始めた神の子達は、自分達の体験を説明するためのルールをでっち上げ、それを石の中に書き入れた(それを絶対的なものと考え始めた)のです。 そして彼等のハートもまた、その石のように硬くなってしまったのです。
He can never control the effects of fear himself because he MADE fear, and believes in what he made.
彼には怖れの効果/結果をコントロールすることが出来ません。
何故なら彼自身が怖れを作り、彼は自分が作ったものを信じているからです。
確かにあなたは怖れを作ったのです。 しかし、初めから意識的に怖れを作っていたわけではなく、それは「愛」に背を向けたことの必然的結果だったのですが。
In attitude, then, though NOT in content, he resembles his own Creator, Who has perfect faith in His creations BECAUSE He created them.
だから彼は(その創造の内容はともかく)意図(やり方)の上では、彼を作った創造者に似ているのです。創造者は自分が作ったものに対して(自分がそれを作った故に)完璧な信心を与えています。
しかし、実在していないものに対して「完璧な信心」を与えても、実在していないもの(意味の無いもの)しか得られません。 たとえそれに対するあなたの信念がどれだけ深く聖なるもの(完璧なもの)であったとしても。
Belief in a creation produces its existence.
創造に対する信念がその実在をもたらすのです。
(特定の創造に対するあなたの信念が)あなたにとっての実在(実感)をもたらすのです。
しかしどれだけの信念をもってしても、それをリアルにすることはできません。
でも、あなたが自分の信心をこの創造に与えている限り、それはあなたにはリアルに見えるのです。 そしてあなたはその結果(リアルではないものをリアルだと信じてしまったことから起こる副作用)を被り続けるのです。
That is why a man can believe in what no-one else thinks is true. It is true for him because it was made BY him.
だから人は、「他の人が誰も真実だとは思わないことでも」信じることが出来るのです。 彼が(その人が)それを作ったので、彼に(その人には)はそれが真実だと思えるのです。
だから私は「あなたが病と死を作ったので、あなたはそれらを解除することが出来る」と言ったのです。
そして、「物質」もあなたが作ったものなので、あなたはそれも解除することが出来るのです。
それらのものを解除して(それらを作り続けることを止めて)あなたは「光」になりたいとは思いませんか。
Every aspect of fear proceeds from upside-down perception.
怖れの全ての要素は上下がアベコベな知覚から来ているのです。
「愛」である宇宙の中に怖れるべきものが在り得るでしょうか?
「愛」である「マインド」にとって怖れるべきものが在るでしょうか?
The more truly creative devote their efforts to correcting perceptual distortions. The neurotic devotes his to compromise. The psychotic tries to escape by establishing the certain truth of his own errors.
It is most difficult to free him by ordinary means, because he is more consistent in his own denial of truth.
真に創造的な人は、知覚の歪みを正そうと努力します。しかしノイローゼの人は、妥協しようと努力してしまうのです。そして精神異常の人は、自身の間違いに対して「ある程度の真理」を確立させることで逃れようとするのです。そのような人を普通の方法で解放することはとても難しいのです。何故なら、真理に対するその人の否定はより首尾一貫したものだから。
狂気はそのかなりの部分が、よく統一されているものです。
より狂気に満ちている程、それは首尾一貫しているものです。
あなたのために天国が保たれていなかったなら、自分でリアルだと信じているものへの固執により、あなたは破滅していたことでしょう。
リアリティが存在し続けているので、リアルなあなたも存在しています。
だからあなたは癒やされることが出来るのです。
そして、あなたが癒やされるためには奇跡が必要なのです。
それはあやふやな不確かなものではなく、この奇跡は、正しい光である宇宙にとって、とても自然な当たり前なことなのです。
聞きなさい、
The miracle, however, makes no such distinctions.
しかし奇跡は、それらの区別は付けません。
あなたがどのような狂気にはまっていても、それは奇跡には問題ではないのです。
It corrects errors BECAUSE they are errors. Thus, the next point to remember about miracles is;
それらは全て間違いなので、奇跡はその間違いを正すのです。
だから奇跡について次に思い出すべきことは、
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