34. Miracles restore the mind to its fullness.
34. 奇跡はマインドの全てを修復します。
全ての奇跡は夢を否定するものです。 死で終る憂鬱な夢を否定するのです。
神の王国(天国)には終りがありません。 失うことがなく、痛みもありません。 これはどれだけ理解の難しいことなのでしょうか。
あなたは「期限/境界/始まりと終わり」に挟まれています。
あなたは「全体」から自身を分離したのです。
これはあなたのマインドの中だけで行われていることなのですが、これがあたかもリアルであるかのように、あなたは苦しんでいるのです。
だから私は「あなた達は自分自身に対してこれを行っている」と言っているのです。
あなたが作り上げている「体」体験の思考が(体の形が、体の分離性が)、「ここから私が始まり、ここで私が終わっている」と言い、「そこからあなたが始まり、あそこであなたが終っている」と言っているのです。
By atoning for lack, they establish perfect protection.
欠乏をあがなう(補う)ことにより、奇跡が完璧なプロテクションを設立します(奇跡があなたを完全に守ります)。
奇跡は、「リアリティ」の「善良さ」へ瞬間的にシフトすることにより、今までとは違う「在り方」を示すのです。
だから「繋がること」が絶対必要なのです。
私が入ってくることを、父が入ってくることを、あなたがまだ気付いていないもう一つの「マインド」(これを私たちは精霊と呼んでいます)が侵入して来ることを、あなたが許したなら、あなたはもはや一人ではありません。
するとあなたはワンネス(一体性)の安らぎを感じます。
だから常に私と共に居てください。 あなた一人で思考/行動する振る舞いに戻ってしまわないで下さい。
難しく見える全ての局面で私があなたを助けます。
私たちが一緒にその問題/事柄を見れば、それがおかしな幻想であることが解ります。 それが夢の間違った思考だと解ります。
The strength of the Soul leaves no room for intrusions.
魂の力は干渉の余地を残しません。
魂の全体性の中には「リアルでないもの」が住み付ける余地はありません。
2006年7月18日
The forgiven are filled with the Soul, and they forgive in return.
「赦された者」は魂によって満たされます。 それにより「赦された者」が赦せるようになるのです。
もう一度言いますと、「赦された者」は魂から分離した「アイデンティティ(主体性)」は持っていません。
だから、今まで魂を持っていなかった「赦された者」が急に魂で満たされる訳ではありません。
「赦された者」”the forgiven” は「与えようとしている者」”for-giving”で、それが魂の表現なのです。
この点を理解することが必要なのです。 何故なら、これを理解するまで、あなたは自分自身にエゴのアイデンティティ(分離的自己認識)を与え続けてしまうから。 これを理解するまで、あなたはエゴ(分離感覚)に主体性を与え続けてしまうから。
「目覚めた」結果、あなたが聖なるエゴ(人間)になるのではないのです。
あなたがあなた自身を全体(十全なもの)としてパーフェクトに知ったなら、「スピリット(霊)/「神」がそれ自身をあなたとして認識している」のだと知ったなら、その時エゴは消え去ります。
だからエゴはあなたを目覚めさせるぐらいなら、あなたを殺すのです。
それは現在のあなたの転生を、現在のあなたの想像を殺してしまうのです。
あなたが死んだなら、エゴはもう一度転生できるのです。 もう一度エゴが自分を想像し直すのです。 もう一度自分が物質であるふりをするのです。
これだけがエゴの唯一の目的なのです。 それ自身を存続させ続けることだけがエゴの目的です。 あなたが寝続けること、夢見続けることが、エゴの存続の必要条件なのです。
だから夢が始まった当初から、神は次のように言って来たのです。
「あなたはこの日、自分が誰に仕えるか選びなさい。」23
目覚めるのは簡単なことです。
これはエゴへの忠誠(それが夢の存続を可能にしています)から、「神」への忠誠(これが「目覚め/故郷/平和/幸せ/自由」です)へシフトすることなのです。
It is the duty of the released to release their brothers.
兄弟を解放することが、「解放された者」の義務です。
もちろんあなたが一旦目覚めたなら、自分の兄弟姉妹達にも「故郷/ワンネス」の喜びがまた体験出来るように、思い出してもらいたくなるのです。
The forgiven ARE the means of Atonement.
「赦されている者」がアトーンメント(和解)を行うのです。
あなたがもう一度「神」として一つになった時、「光」の強さが増して、まだ寝ている者達を揺り動かすのです。
これは「良きこと」なのです。
夢の中を揺らすことが、夢に従順でいるよりも、より良きことです。
Those released by Christ – released by embracing your Christhood once again – must join in releasing their brothers, – your brothers and sisters – for this is the Plan of the Atonement.
キリストによって解放された者は(自分のキリスト性を受け入れ直したことによって解放された者は)、自分達の兄弟(姉妹)を解放するために繋がって協力しなければいけません。 何故なら、これがアトーンメント(和解/救済)のプランなのだから。
一旦目覚めたなら、あなたはこれを熱望するようになるのです。
自分が知っている/自分が持っている「良きこと」を分け合いたいと思っている人はどれだけいるでしょうか?
与えようとするあなたのハートが、「故郷」を分け合うことをどれだけ望んでいるか考えてごらんなさい。
「与えること」があなたの性質なのです。
そして「神」以上に素晴らしいギフトがあるでしょうか?
Miracles are the way in which minds, which serve the Spirit, unite with Christ for the salvation, or release, of all God’s Creations.
奇跡とは、「神の全創造」を救済/開放するために(スピリットに仕えている)マインド達が「キリスト」とひとつになる方法なのです。
こうして卑小なマインドが、いま一度偉大な「マインド」になるのです。
卑小なマインドが、それ自身をスピリット/キリストとして「知るのです」。
そして神の子の共同体のワンネスだけがゴールになるのです。 目覚めて気付いている「神の家族」だけがマインドの目的になるのです。
2006年7月19日(真夜中)
35. Miracles are expressions of love,
35. 奇跡とは愛の表現です。
どんな「愛」でしょう?
全てである「愛」です。「神」である「愛」です。
だから私たち全員も「愛」なのです。
全ては「愛」の周りで動いています。 そして動いているもの全ては「愛」なのです。
だから全ては「愛」か、そうでなければ「愛への呼びかけ/愛を求めている声」なのです。
「愛」がそれ自身を表現していることが「神」なのです。
「愛」は「自身が何か/誰か」思い出そうと苦しみます。
しかしエゴの思考に牛耳られている場合「より良いことがある筈だ」と微かに思い出すのが精一杯なのです。
「愛を求めている者」も自分達が平和と喜びを表現しているべきだと知っています。 しかし、彼等はエゴの声に支配されており、エゴの声を聞く意志しかもっていません。 だから彼等にはエゴの声しか聞こえていないのです。
そしてエゴの声は「攻撃することが良いことをもたらす、攻撃することで健全/完全に成れる」と教えるのです。
「愛の声」を聞けるように学んでいる者がヒーラー、つまり癒やす人なのです。
2006年 7月21日
だからいつでも「愛」の表現を感じることが出来るのです。
– but it does NOT follow that they will always have observable
effects.
しかし、それが必ず目に見える効果をもたらすとは限りません。
何故なら思考が邪魔をするからです。
(「全て」を考えるのではなく)「自分」のことしか考えられない卑小な自己が、(それこそが自分自身である)真の「愛」に対して自分を盲目にしてしまうのです。
だから卑小な自己は孤独な体験の中だけに留まってしまうのです。
色々な存在が思考を分け与えようとしても、卑小な自己がそれらを排除してしまうので、彼/彼女自身が排除されてしまうのです。
「愛」は、相互に排除するのではなく、「全て」を内包しています。
「愛」はそれを嫌っている思考さえも抱擁しているのです。
あなたがどれだけ「故郷」の近くにいるか解りますか。
「故郷」に戻るためには、「自分」から「わたし達」へマインドを変えるだけで良いのです。
2006年7月21日
I am the only one who can perform miracles indiscriminately,
奇跡を無差別に(ところ構わず)行なうことが出来るのは、私だけです。
これではまるで、私がここそこで勝手気ままに奇跡を起こしたり、助けを求めている人を無視したりしているように聞えますね。
because I AM the Atonement
何故なら、私がアトーンメント(和解)だから。
何故なら、私が「神の一人子」だから。
しかし、そのようなことが言いたかったのではありません。
アトーンメントが感じられるかどうかは、受け取り手自身の意欲と信念システム(世界観/宗教観)により限定されているだけなのです。
あなたが新しい足や歯を必要としていたり、深い憂鬱/統合失調症/自閉症からの癒やしを必要としていた場合でも、もしあなたが本当にそれを求めるなら、そしてあなたの信念システムがそれを許しているなら、私はそれらを与えることが出来ます。
You have a ROLE in the Atonement, and that is your willingness to wake – your willingness to Join.
アトーンメントの中にはあなたが果たすべき「役割」があります。
(それは、「繋がろう/目覚めよう」とするあなたの意志です。)
例えば、私をあなたの仕事のコーチとして考えてみてください。
全ての人が採用されており、全ての人に仕事が与えられています。
だから既に採用されているあなたは、職場に来さえすればそれで良いのです。 しかし、ケン・ワプニックの言葉を借りれば「全ての人が呼びかけられていても、僅かの人達しか聞いていない」のです。
聞くって? 何を聞くのでしょう?
which I will dictate TO you.
私がそれをあなたに口頭します。
聖なるガイダンス(指示)を聞くのです。 毎瞬私は、それをあなたに与え続けています。 ガイダンスを聞く選択をしさえすれば、あなたにもガイダンスが聞こえるのです。
Ask ME which miracles you should perform.
どの奇跡を行なうべきか私に尋ねなさい。
それだけではなく、何かをする度に、何を言い何をするべきか私に聞きなさい。
This spares you exhaustion, because you will act under direct communication.
こうすればあなたは疲れなくなります。 何故なら、その時あなたは直接的コミュニケーションの下に働いているからです。
あなたは、何も「頭で解ろう」とする必要はないのです。
常に理解しよう/計算しよう/解決しよう、としている卑小なマインドにはお休みをあげなさい。 あなたのマインドは、あなたのお腹よりも忙しく働き続けています。
あなたのお腹は食事を休み無く消化することに忙しく、あなたのマインドは思考を次々と消化して(あなたの世界の難問に対する)一番優れた防御を考え出すために忙しく働き続けています。
頭(自分の卑小なマインド)で理解しようとすることを放棄すれば、素晴しく平和な感覚と静寂と幸福があなたにもたらされ、周りの人達にも大いなる祝福が与えられます。
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