Mar 15, 2011

あなたは#19

48. Awe is an inappropriate response to miracles.

48. 奇跡に対して畏怖の念を懐くことは不適切な反応です。

それは何故でしょう?

何故なら畏怖するとは、それを特別なものとして見ることだからです。
しかし奇跡は「夢の中にリアリティが挿入されること」でしかないのです。

畏怖には怖れがつきものです。 それは自分には理解出来ない力に対する怖れです。

そして理解出来ないことをコントロールすることは不可能なので、それは怖れをもたらします。

しかしあなたが怖れている「この理解不能なもの」こそが驚くほど優しい「愛」なのです。 この文章を読み飛ばすべきではありません。

あなたが怖れて避けている「まだ知られていない神」が「愛」で、それは(「愛」に対するあなたの熱望を遥かに超えて)あなたを抱擁しているのです。



*~*~*

ここで一旦読むのを止めて、あなたのハートとマインドの奥底までこのことを届けるようサン~ローズに上記の記号を置いてもらいました。

エゴがこの「愛」に対する防御を持ち出す様子を観察して下さい。
エゴは、この「愛」の中には存在出来ないのです。

エゴは、それ自身があなたであると言い募り「愛」を信用しないようあなたに言うでしょう。

エゴは噓をついて、自身の生き残りとあなたの崩壊を確保するのです。

エゴに聞き入る必要はありません。 あなた自身を(優しく完全に親密な、そして畏怖には値しない)この「愛」に対して差し伸べるだけで良いのです。


Revelation is literally unspeakable because it is an experience of unspeakable love.

啓示は全く語ることの出来ないものです。 何故ならそれは言葉では言い表すことの出来ない愛の体験だから。

「愛」を語ることが出来ないのは、あなたがまだそれを語る言葉を持っていないからです。


Awe should be reserved for revelation, to which it is perfectly and correctly applicable.

畏怖は啓示のために取っておきなさい。啓示に対して畏怖を感じることこそが適切なのです。 

啓示は畏怖をもたらすものです。少なくともあなたがそれに(それぞれの啓示に)親しむまでは。


It is NOT appropriate for miracles because a state of awe is
worshipful.

畏怖を奇跡に対して感じることは不適切です。 何故なら畏怖の状態は崇拝状態だから。

私はあなたに(それぞれの瞬間に)奇跡を期待するように言っています。

感謝が、奇跡に対する適切な対応なのです。

感謝することが、より多くの奇跡を呼び入れる、開かれたドアになるのです。

適切に体験された畏怖が、多大な感謝になるのです。


It implies that one of a lesser order stands before a greater one.

畏怖とは、「低い秩序の者」が「より偉大な秩序の者」の前に立っていることを示唆しています。

そして、「より偉大な者が(秩序の低い者に)与える体験」がとても素晴らしいので、(「愛」の与える「良きこと」には限界がないという)感謝の念が沸き起こるのです。


This is the case ONLY when a Soul stands before its Creator.  Souls are perfect creations, and experience awe only in the Presence of the Creator of perfection.

これは(畏怖の念を感じることが適切なのは)魂(ソウル)が創造者の前に立っている時だけに当てはまります。
魂はパーフェクトに創造されているので、パーフェクトな創造者(魂をパーフェクトに創造した者)の前でだけ畏怖を体験するのです。

『ゴッド・ヘッド(「神」の頭)と呼ぶことの出来るもの』を体験することが、「愛の歌」を思い出すことなのです。

あなたはこれ(「愛の歌」)を少し垣間見ることを自分に赦すだけで良いのです。 何故なら、そうすれば、あなたのエゴの夢はこの「愛」の中に(この「愛」として)瞬間的に消えて行くのだから。


The miracle, on the other hand, is a sign of love among equals.

(啓示とは違って)奇跡は、平等な者達の間の愛を示しているものなのです。

奇跡とは、貴方自身の信念システム(宗教観/世界観)を完全に脅かせ怖れさせてしまうこと無く、あなたが今ここで気付くことの出来るものです。


Equals cannot be in awe of one another because awe implies inequality. It is therefore an inappropriate reaction to me.

平等な者達がお互いに対して畏怖の念を抱くことは不可能です。
何故なら、畏怖とは不平等を示しているからです。 だから畏怖を私に対して抱くことは不適切なのです。

あなたは、あなたと私が平等で同等だとは思わないかもしれませんが、本当はそうなのです。

だから私は英語表記では私とあなた(I You)の両方の綴りの頭文字を大文字で書くよう指示したのです。  

この部分を読む度に、これが「わたし達の平等」を表明していることを理解して下さい。

だから、私はあなたにひれ伏しては(私を崇拝しては)欲しくないのです。
そうではなく、私の言っていることを聞いてください。 私の方があなたより広い視野を得ているのだから。


An elder brother is entitled to respect for his greater experience, and a reasonable amount of obedience for his greater wisdom.

兄はその経験の豊かさゆえに尊敬に値します。 そして彼(兄)のより優れた知性ゆえに、彼には(弟達から)ある程度の恭順が与えられるべきです。

しかし第一に、私の「愛」を感じて欲しいのです。


He is also entitled to love because he IS a brother, and also to devotion if he is devoted. It is only my devotion that entitles me to yours.

それだけでなく彼(兄)(あなたの)兄弟でもあるので「愛」に値するのです。そして彼(兄)が献身的であったなら、彼(兄)にも献身が与えられるべきです。私の献身によってのみ、私はあなたの献身に値するのです。

私の献身だけが、「あなたの献身を私が使うこと」を可能にしています。

「私の兄弟姉妹の一人が本当に私を感じている時には、あなたの中に献身の心が(あなたという献身の心が)沸き起こること」を私は知っています。


There is nothing about me that YOU cannot attain.  I have nothing that does not come from God.

私に与えられているもので、あなたに得られないものは何もありません。私は「神」から与えられているものしか持っていないのだから。

前にも言ったように、『「神」が動いた時だけ、私も動くのです』。


The main difference between us as yet is that I have NOTHING ELSE.

わたし達の間の唯一の違いは、私はそれ以外(神から与えられているもの以外)は何も持っていないことです。

しかしあなたは、今でも自分一人で動く事が出来ると信じているのです。


This leaves me in a state of true holiness, Wholeness – which is only a POTENTIAL in you.

これが私を真の神聖状態(全体性/十全性)に置いているのです。
しかし、あなたの中ではそれは(全体性/十全性は)まだ可能性でしかありません。


これはとても興味深い文章ですね。

あなたの世界の中では、何か不足している時に「十全性/健全性」が損なわれているのです。 しかし天国/リアリティの中では、十全性/神聖とは、あなたが(それ以外には何も付け加えることなく)「父という存在そのもの」として存在している状態のことなのです。

あなたは神聖への無限の可能性に満ちているのです。 何故なら、あなたは常に「真理ではないもの/ゆえに実際にはそこに存在していないもの」を捨てることが出来るのだから。

神聖に成ることは、あなたが思っているよりもとても簡単なのです。


“No man cometh unto the Father but by me” is among the most misunderstood statements in the Bible.

「私を通らなければ、誰も父のもとに行くことは出来ません。」
これは聖書の中の一番誤解されている部分です。

この文からは、幾つかの異なる理解を得ることが可能です。

この文を書いた人は、その時の自分達の信念システム(世界観/宗教観)にとって一番分かりやすかった前置詞(”by”)を用いていたのです。

この文章は、より明確に次のように読むことが可能なのです。

「私として進むのでなければ、誰も父のもとに行くことは出来ません。」
“No-one cometh unto the Father but as Me.

私が「神」と共にあるように、あなたは『自分自身も「神」と共にあるのだ』と気付くことが出来るのです。
 

この文を理解するもう一つの方法は、時間と空間に対するあなたの信念を通してこれを見ることです。


It does NOT mean that I am in any way separate or different from you EXCEPT IN TIME, which does not really exist at all.

この文は、「時間の中でだけのみ、私とあなたが違っていたり分離している」と言っているのです。 しかし時間は本来は実在していないものです。

「今」の中でわたしは「神」とひとつなのです。
「空間」という概念の中で、これを視覚的に分かり易く示すことが可能です。


Actually, the quotation is more meaningful if it is considered on a vertical rather than a horizontal axis.

上記の文章(「私を通らなければ、誰も父のもとに行くことは出来ない。」)は、水平線ではなく垂直線上に考えた方が分かり易いものです。

これはヤコブの梯子を登るようなものです。32(創世記)


Regarded along the vertical, man stands below me and I stand below God.

垂直線的に(上下関係として)考えた場合、人は私の下におり、私は「神」の下にいます。

つまり「神」が梯子の上におり、私が一番最初の横桟(桁)にいて、あなたはまだそれを登っている途中なのです。

あなたはどのような「優位」も持ってはいないのです。

あなたとわたしは両方とも「愛/神」によって止めようも無く引き寄せられているのです。


In the process of “rising up,” I AM higher. This is because, without me, the distance between God and man would be too great for you to encompass.

「立ち上がる」(「神」に向かって伸び上がる)課程において、私が上にいます。これは、私がいなければ「神」と人の距離は離れ過ぎていて、あなたには(「神」とあなたの位置関係が)把握出来ないからです。

『(私が「神」とあなたの間にいなければ)エゴ(あなたの分離感覚)にはこの梯子が良く支えられていないように見えてしまい、ゆえに、この距離が恐ろしくそして危険に見えてしまうのです。 だから私が「神」とあなたの間に立って仲立ちしているのです』と言い換えても良いでしょう。

「神」の牽引力は、全てのものをそれ自身の「愛」として引き寄せ掴んでいるので、実際にはこの梯子が宇宙の中で一番安全な場所であることがエゴには分からないのです。

この梯子は(つまり「神」の呼びかけ)は全ての所に現れています。

そして、私は自分がいるところで安らかにしているので、この梯子が危なく見えたなら、あなたは何時でも私の手をとることが(私に頼ることが)出来るのです。

しかし本当は、この梯子は(「父」のもとに向かうことは)とても安全なのです。


I bridge the distance as an elder brother to man on the one hand, and as a Son of God on the other.

私は、一方では人の兄として、そして他方では「神の子」として、この距離を橋渡しして(この距離を縮めて)いるのです。

あなたは私の兄弟姉妹であり、私が「神の子」なので故にあなたも「神の子」であることを、どうか理解してください。


My devotion to my brothers – My devotion to You – each and every one of You – has placed me in charge of the Sonship, which I can render complete only to the extent to which I can SHARE it.

兄弟に対する(あなた達一人一人に対する)私の献身が、「神の子の共同体/サンシップ」に対する責任を私に与えたのです、私は自分がそれ(神の子の共同体)を分け与えられる限りにおいて、それ(神の子の共同体)を完璧にすることが出来るのです。

私の惜しみない献身(あなたに対する私の永遠の「愛」)をあなたが感じ取っていくに従い、これらの感情があなたの中からあなた自身の意識として湧き上がってくるのです。

(「愛」を得続けようとする人間的欲望ではなく)「愛」を与えたいという熱望があなたを満たし、あなたは真の幸福を感じ始めます。 そして「与えることによってのみ、わたし達は受け取る」という言葉を理解し始めるのです。


This may appear to contradict the statement “I and my Father are one,” but there are still separate parts in the statement, in recognition that the Father is greater.

これは「私と私の父はひとつです。」という言葉に反することに聞えるかもしれません。  しかし、この言葉にはまだ続きがあり、そこでは「父」がより偉大なものであるという認識が述べられています。

「父」の完璧性は、『「神」が「あなた、そして、全て」を与えている(表現し内包している)ものであること』から流れ出しているのです。


(The original statement was “are of one kind”).
(私は本当は「私と私の父は、同種のものなのです。」と言ったのです)

何故なら、わたし達全員は同一の実体から成り立っているのだから。
だからわたし達は、「自己を与える」という同一の役割を担っているのです。 
ここで言う「与える」とは、どういう意味なのでしょう?

そう、この言葉があなたと共に在ることを許可しなさい。
これは「宇宙的/普遍的に愛を行っている者」だけが見つけられるものなのです。
そして、あなたはそれを感じています。

エゴの非常に窮屈な「愛」の感覚である「分離性/切り分けること」が、あなたの「愛」を創造のもとから遠ざけています。 まるで「愛」があなたの所持品であるかのように。 しかし実際には「愛」があなたなのです。 

だから、あなたが自分の「愛」を隠して(差し控えて)しまったなら、あなたは、あなた自身(セルフ)の一部を切り外し、あなたの全体性/十全性を破壊してしまった、と言うことも出来るでしょう。

しかし、「普遍的に(選り好み無く)与えること」にあなたが戻れば、それは(あなたの全体性は)瞬時に復活するのです。

私が言おうとしていることが出来るだけ明白になるように、次のことを付け加えておきましょう。

あなたが自分の兄弟姉妹(創造のあらゆる所)を「不浄なもの(愛に値しないもの)」として見ている限り、あなたには神聖が見えません。

あなたが「父母」と同種の「ひとつのもの」に成るためには、父母が「愛」していると同じ方法で、あなたも「愛」することが出来るようにならなければいけません。

これは精霊の「愛」の在り方と同じなので、(そして精霊こそがあなたの正しいマインド/「愛」/生命なので)あなたも同様に「愛」することが出来るのです。 

だから、私の話しているこの「愛」は、あなたにとってとても自然なもので、これを押し潰し抑圧しておくために多大な努力が必要とされているのです。

この抑圧が、あなたを病気にし、あなたを老いさせているのです。

「愛」のこの流れを許可することが、「愛」を修復し、あなたを新しくするのです。


The Holy Spirit is the Bringer of Revelations.

精霊が啓示を持ってくる者なのです。

啓示とは、インスピレーション/喜び/愛/全体により明晰になる瞬間、つまり聖なる瞬間です。


Revelations are INDIRECTLY inspired by me, because I am close to the Holy Spirit, and alert to the revelation-readiness of my brothers.

啓示とは間接的に私からのインスピレーションを受けているものです。何故なら私は、精霊に近く、そして「兄弟の啓示に対する準備/意欲」に対して敏感だから。


私があなたの熱望と意欲を感じたなら、

I can thus BRING down to them – to You – more than they – You – can DRAW down to themselves – yourself.

彼等が自分達の(あなたが自分の)ために引き出せる以上のものを、私は彼等の(あなたの)ために引き出すことが出来るのです。

私は開かれたドアとして立っています。 
あなたは、この開かれているドアを通して、インスピレーションを受け取ることが出来るのです。

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