Mar 15, 2011

あなたは#13

2006 75


32. Christ inspires all miracles, which are really intercessions.

32. キリストが全ての奇跡にインスピレーションをもたらしています。  そして奇跡とは実際には仲裁(とりなし)なのです。

つまり、「真理」が奇跡を促進します。 奇跡が起こることを促進し、(そこで発見されることを待っている)奇跡を顕わにします。

そして、人間的状況の奥から、(「リアリティ」に対する人間的視界により隠されている)「真理」から奇跡の癒しが流れてくるのです。

あなたが「人間と呼んでいるもの」は人ではありません。 それは限界/限定を言い募り主張している「考え」なのです。
「神により作られているもの」以外のものに成ろうと決意してしまった「キリスト」が、自己生成が出来ていると考えることに固執してしまっている「キリスト」が、複雑に入り組んだ「限定思考」に固執しているだけなのです。

「神」のあなたである「キリスト」は、いつでも現在進行形で、いつでもあなたの「源」と繋がっています。

「神」から実際に分離することが出来たと信じている「人間(限定的存在感覚)」は、自分達が新しい自己を作ったと考えています。
そして過去にこだわり、過去を重要なものとして考えているのです。 何故なら、「過去の中で分離が行えた」と彼等は信じているから。

またここで(想定された実際には存在していない過去の中から)加齢が始まっているのです。
今の中ではなく、「以前/過去」の感覚から、老化が始まっているのです。

「過去から今」へのジャンプは、完全にあなたのマインドの中で起こることで、それが奇跡のソース(源泉)なのです。

全ての瞬間が奇跡の約束で満ちています。 これは素晴らしいことではないですか!

「良きこと」の約束が仲裁するのです。
それが人間的体験の恐ろしさと「リアリティ」の間を仲介するのです。

全ての状況の中に「愛」の無限の約束(可能性)が置かれています。


200677

They intercede for man’s holiness, and make his perceptions holy.

奇跡は、人の神聖のために仲介/介入を行い、人の知覚/認識を神聖にするのです。

あなたはこれを明確に理解し始めています。

さあ、この原理/原則を表現する正しい言葉を聞きなさい。
(あなたがその許可を与えさえすれば)この体験が変容をもたらします。

あなたの体験の中に「なにか予測されていなかった神聖なもの」が現れた時、(それが癒しでも、非常な危険が見えている所で急に救済されることでも、欠乏が酷く現れている所に豊かさがもたらされることでも、どのような素晴らしいことが起こった場合でも)神聖が現れた時、その「リアルさ」が信念(定義群/決め付け)のセメント(強情な決め付け)を打ち砕くのです。

「いまここ」の中で「愛の現れ」がとても明白に体験されることにより、あなたの信念/妄信が打ち破られるのです。

すると、分離されている「小さなマインド」は、「神が全て」に成っている「大きなマインド」の自然な状態に一旦戻って行き「神」を体験するのです。


By placing him beyond the physical laws, they raise him into the sphere of celestial order.

奇跡は、人を物理的法則よりも高い所に置くことで、天の秩序の球体(領域)の中に人を引き上げます。

あなたの「リアリティ/完璧性/侵害され得ない全体性」、それら全てが癒しを通して明白になります。

問題が手放されるのです。 「光」は闇を瞬間的に消し去るものなので、
「光」の「ヴィジョン」と共に問題は消えていきます。


In THIS order, man IS perfect.

この秩序の中で人はパーフェクトなのです。

あなたの「パーフェクション/完璧性/神聖なる十全」は、「いまここ」に現されているのです。  奇跡は常時必然的に「いまここ」の中で起こっています。


The Soul never loses its communion with God.

魂は決して「神」とのコミュニオン(霊的交歓)を失うことがありません。

これが可能なのは、「全て」の「アイデンティティ(主体性)」の「源」が「神」だからです。
そして「魂」こそが「真のあなた」の「聖なるアイデンティティ(主体)」なのです。


Only the mind NEEDS Atonement.

「アトーンメント(和解/贖罪)」を必要としているのはマインドだけです。

この(英語原文では小文字で表されている)卑小なマインドだけがアトーンメントを必要としているのです。

馬鹿げた夢を見ているにも関わらず、あなたは常に「マインド」と(つまり「神」と)「ひとつ」であり続けているのです。


The miracle joins in the Atonement of Christ – brings the Awareness to view of Your Real Be-ing – by placing the mind in the service of the Spirit.

奇跡は、マインドを「スピリット(霊)」に仕えさせるようにして、「キリスト」の「アトーンメント(和解/贖罪)」と繋がるのです。
(奇跡は、あなたという「リアルな存在」に対する気付きをもたらします。)

もう少しこれを明確にしましょう。
「マインド」と「スピリット」は実際には同じものです。

「マインド」の創造的英知の外的「表現」が、スピリット(霊)なのです。

「マインド」が「存在しているもの」であり「知っているもの」です。 そして「スピリット(霊)」が、その「ノーイング/英知」を「体現しているもの」です。

これが「表現されたマインド」の「見える様子(可視性)」であり「触れる様子(性)」なのです。

性(Tangibility、触ることが可能)とは身体性/具体性のことだと辞書には書いてあるでしょう。

知性(実体性)は物質性/有形性を暗示してもおり、実際そうなのです。 
しかし「スピリット(霊)」しか実存していないと私は言いましたね?
これはどういうことでしょうか?

スピリットの歪められた知覚が物質として現れているのです。
だから(あまり正確な言い方ではありませんが)物質とはスピリットの噓の部分であると言うことも出来ます。

「触れる様子(性)」とは触れることが出来るという意味で、物質性を暗示しています。

私たちは「スピリット(霊)」として触られたり、「スピリット」により触られたりすることが可能です。 これは「マインド」の働きです。
例えば、何かがあなたのハートに触った時に、あなたは「彼の存在を身近に感じることが出来る」と言ったりするのです。

これは「スピリット」体験の新しい言語のようなものです。

新しい言語を学び始めたなら、初めの内あなたは、全ての言葉を逐一マインド中で翻訳していることでしょう。
しかし学習を続ければあなたは流暢に話せるように成り、新しい言語体験に馴染むことでしょう。

誰かの「現れ/プレセンス(Presence)」を感じることは、とても美しい体験です。 これは常にフレッシュで新しいものです。

全ては、生き生きとダンスを踊っている「光」なのです。
しかし、硬い限定的な思考が、全てを静的で硬い密度の詰まった物体として見せているのです。

だから、本当は「スピリット」だけが「実体」なのです。
そして「マインド」と「スピリット(霊)」は全く一つなのです。

次の例がこれを明確に言い表しています。

手のひらと手の甲は、同じものではありませんが、それらは手という一つのものです。

「マインド」と「スピリット」にはそれぞれに「聖なる役割」があります。
しかし、それらは(「神」の他の属性と共に)ひとつなのです。 
ひとつの「神」、一つの「良きこと」だけが存在しているのです。


This establishes the proper function of the mind, and corrects its errors.

これがマインドの正しい働きを確立して、マインドの間違いを正します。

これにより、『あなたが自分の考えで自身を病気にした』という人間的信念が修正されるのです。

そのようなことが起こっているように見えるのですが、実際に必要なのは、思考の修正ではなく、思考を取り除くことなのです。 何故なら、病的なのは思考そのものだからです。

そして思考するのではなく、謙虚に「マインドの声」(これがエゴではないあなたの「正しいマインド」なのです)に聞き入り、それがあなたに「成る」ことを許可しなさい。
これが「真の癒し」をもたらす、素晴らしい体験なのです。

これにより、『「致死的思考」を修正して「致死的体」を向上させようとしている「致死的な者」』として存在し続けようとする試みが放棄されるのです。 
このようにして、死を存続させてしまうことが回避されるのです。

死なない思考がある訳ではなく、「聖なるノーイング(英知/知っている状態)」だけが実存しています。 これが移ろい易さをなくすのです。

このノーイング(英知)は完全に安全で善良なのです。 何故ならこれは「愛」だから。

人間あるいは「卑小な私という感覚」から来る愛を、「神」である「愛」と混乱するのは止めなさい。

今からこの「愛」の意味について話しますが、私たちは何度もこれに関して繰り返し話すことになるでしょう。


2006 78

どのような考えがそれ自身をエゴとして示したとしても、「愛」は「愛の現れ」のために確固として絶対的に現れ続けます。 「愛」は名詞(実体)であり、動詞(動き)であり、目的語(対象)です。

同じように、「生命」も「生命の現れ」のために確固として絶対的に立ち続け、それを示し続けます。 たとえ、どのような考えが、それ自身をエゴとして示したとしても。


200679

33. Miracles honor man BECAUSE he is lovable.

33. 人は愛らしいので(愛に値するので)、奇跡はその人の栄誉を称えるのです。

奇跡があなたを尊重し認めるのは、あなたが「愛らしい」からです。


They dispel illusions about him, –You – and perceive the Light in him as You.

奇跡は人(あなた)に関する幻想を追い払い、人の中の「光」を(あなたとして)認識します。

相互合意されている信念システム(共有されている決め付け)にそぐわないことが起こった時、人間という硬い信念を奇跡が少しづつ取り払われて行きます。

奇跡を受け取った者の上に、心の軽やかさと尊さの喜び(これが「光であること」の味わいです)が起こります

*(私の友達のスーザンが聞いた時には次のように聞えたそうです。 - 
「病」や「硬い信念」に合致していないことが起こった時、病んでいる者や頑迷なマインドを奇跡が「愛」で癒していくに従い、人間という硬い信念が少しづつ取り払われて行きます。


2006713

They – the miracles – thus atone for his errors by freeing him from his own nightmares.

このようにして人自身の悪夢から人を解放することにより、奇跡が人の間違いを贖う(修正する)のです。

あなたが夢から醒めた時、悪夢は何処に在るのでしょうか?
痛みや苦しみは何処にあるでしょう?


They release him from a prison in which he has imprisoned HIMSELF,

奇跡は人自身が作った牢獄の中から人を解放します。

自分を閉じ込めている自己束縛からあなたが解放されるのです。

覚えておいて下さい。 あなたが夢見ることを選び、悪夢を選んだのです。


and by freeing his – your mind from illusions, they restore his sanity.

だから、人の(あなたの)マインドを幻想から解放することで、奇跡は人に正気を取り戻させるのです。

「全体に対して目覚めること」/「マインドの全て」/「すべてがOKだというマインド状態」を思い出す体験が、あなたの見ている夢/幻想を妨げ、あなたは夢から解放され、「あなたの正気」が回復されるのです。 


Man’s mind CAN be possessed by illusions, but his Spirit is eternally free.

人のマインドは幻想に取り付かれてしまっているかもしれませんが、人の「スピリット(霊)」は永遠に自由です。

この文にも説明が必要です。

あなたは自分のマインドを使って幻想的な夢を見ることが出来ますが、それは『今ここにおいてあなたが「スピリット」である』という事実を変えるものではありません。
これはとても重要なことです。

あなたが「スピリット(霊)」を持っているのではなく、あなたが「スピリット」なのです。

『自分は「神/スピリット」から離れて存在している』とあなたに信じ続けさせてしまう概念や言葉は全く助けにはなりません。

あなたが愛に溢れているのではないのです。
あなたは愛に溢れた人ではないのです。あなたは、「愛するかどうか自分で決めることの出来る人」ではないのです。

あなたは「愛そのもの」なのです。 これに選択の余地はありません。
あなたは「愛」でしかないのだから。

あなたの夢の中で、あなたは「神/愛」から離れている自己をでっち上げたのです。

もしそれがエゴにとって都合良ければ、あなたは「愛があるかのように」行動するでしょう。 そして自分のことを愛に溢れた人と考えるでしょう。

これは、(大いなる)「マインド」としてのあなたが、(卑小な)あなたのマインドの中で「愛としての自身」から確実に分離している状態なのです。 

この法則は、そのまま「生命」にも当てはまります。
あなたは「生きているもの」ではなく、「生命そのもの」なのです。

あなたが「命」を持っているのではなく、「命」があなたなのです。


2006 714

If a mind perceives without love it perceives an empty shell,

もしマインドが愛なくして知覚しているなら、それは抜け殻を感じているのです。

何故でしょう。 それは「愛」が全ての「エッセンス/実体」だからです。「愛」が全ての中心であり、全てに対する無限の周辺なのです。 

色々な憎しみに関してあなたが考えていることは私も知っています。
しかし、それらは無なのです。


2006715 午前2時

そのようなことは起こり得ません。何故なら「愛」が「リアリティ」の原初の実体だから。

そして今「自分自身に向かってこのような憎しみを表現するとは、自分は何とキチガイ染みていたのだろう」とあなたは考えています。

「神」との「ワンネス(一体性)」を体験するのでは無く、従って「全て」とのワンネスを体験するのではなく、内部的にそして外部的に、分離を見ている(物事を分けて見ている)この体験こそが狂気なのです。

そして、これに対する薬は一つかありません。
それは、「あなたの神聖」に向かって手を差し伸べ(伸び上がり)、「あなたの神聖」(あなたの精霊)に「あなた」とあなたの「マインド」を抱擁させることです。

私はあなたに色々なエキササイズを与えていますが、つまるところ、「繋がること」だけが唯一の方法なのです。

だから「愛」以外のものを見ようとしているマインドには、空っぽの劇場のような抜け殻しか見えていないのです。


and is unaware of the Spirit within it.

そして内部のスピリットには気付かないのです。

スピリットが何かの中に入っている訳では無いので、その点には気をつけなさい。

もしスピリットが何かの中に入っているなら、それはスピリット以外のものが存在していることにってしまいます。
しかし、それは不可能です。

また、それは「スピリット」が全てであることに対して限定を与えることにもなってしまいますが、無限を内包することの出来るものは(神/スピリット以外には)ありません。

そして「スピリット」に関する「真理」は、「愛/生命/マインド」にも当てはまります。

それらは遍在しているので(全ての所に存在しているので)、それらはあなたに対して無限に(条件付けられずに)与えられています。

しかしエゴは、この事実を考えてみようともせず、それを認めようともしません。 何故なら物質/物体こそが、エゴのプライドであり喜びだから。

エゴは愚かにも、自分が何か新しいものを創造したと考えています。
「神/スピリット」の「リアリティ」から正反対の実体を自分は作ったとエゴは考えています

この卑小な考えが、エゴ自身を「神」と同等の創造者(造物)にするのです(少なくともエゴの思考の中では)。

エゴは幻惑を体験しているだけでなく、エゴそれ自身が幻惑なのです。

しかし実在しているのは「スピリット/霊」だけです。


But the Atonement restores the Soul to its proper place.

しかしアトーンメント(和解)が魂を正しい所に取り戻します。

そして、アトーンメントが魂を(つまりあなたのアイデンティティを)修復します。

アトーンメントは、『「全て」は「スピリット」でそれ以外のものは存在しようが無いので、魂もまた「スピリット」である』という理解を修復するのです。

「スピリット」が存在する全てです。


The mind that serves the Spirit is invulnerable.

「スピリット」に仕えているマインドは無敵/不可侵です。

「スピリット」に仕えているマインドは、「愛」に仕えているマインドで、それは「愛の現れ」だけを主張するようにります。 それは無防備になることが出来るのです。

そしてこの聖なる奉仕により、マインドが「神/マインド」そのものとしての体験に戻っていくのです。

無敵になろうとしてこれを行うのは止めなさい、そうではなく『リアリティに対する愛、故郷(リアリティ)に対する望郷、神である生命への渇望』を通ってここに来なさい。

あなたが昨日そうしたように。


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