Mar 15, 2011

あなたは#8

24. Miracles enable man to heal the sick and raise the dead because he made sickness and death himself, and can abolish both.

24.  奇跡は、人に病を癒し死者を蘇らせることが出来るようにします。
何故なら人自身が病や死を作ったのだから、人はその両方を消すことも出来るのです。

あなたがこの文章を良く知っており、「愛」していることを私は知っています。

奇跡はあなた達全員が、病を癒し死者を蘇らせることを可能にします。
何故なら(これはとてもおかしな、自己懲罰的なことですが)「眠っている者全員」が自分達の力を合わせて病と死を発明し、それらを存続させ続けているのだから。

「この醜く不浄三位一体(病と死と罪)を消滅させることは、長く辛いプロセスになる」とあなたは考えているかもしれません。 しかし、これは瞬間的に行うことが出来るのです。

ただ「ノー」(否)と言うだけで十分なのです。

『ノー、私はその道は全く通らない。 そこは暗く陰鬱で、「光/生命」の「現れ」である私には相応しくない場所だから。』

あなたが暗闇から「光」に移動する許可を自らに与えることが、あなたから兄弟姉妹へ贈ることの出来る素晴らしい「ギフト」でもあるのです。

距離のない旅とはマインドを変えることです。
それは、卑小なマインド(「自分は分離したプライベートな存在だ」と考えている卑小な者)から大きな「マインド」へ移行し、「全て」として「全て」を「全て」と分かち合うことなのです。

あなたの「光」が、暗く悲惨な場所を王国の高貴な色で照らし出します。
そしてあなたが輝くに従い、あなたに明晰がもたらされます。

そして、あなたのマインドがクリアになるに従って、あなたの兄弟姉妹に「ギフト」が渡されるのです。


2006 62

人々を癒すために、罪/病/死に関する情報(や知識と呼ばれているもの)を沢山取り込む必要がないだけでなく、それらは助けにもなりません。
事実、あなたが知らなければ知らないほど、それは容易になるのです。

あなたは「真理」の中に留まるべきです。
泥の中にはまっている人を清めるために、あなたも泥の中に入り込む必要はありません。
上から注がれる清潔なシャワーの方がより効果的でしょう。
そして、より高い視点から来るガイダンスが出口を示してくれるでしょう。


私は「関わり合うな」と言っているのでしょうか?
いいえ。 もし誰かが肥溜めの中で溺れているなら、その中に飛び込んでその人を引き上げなさい。

しかし、あなた自身が泥のような思考に塗り固められてしまえば、他者を助けることはより難しくなります。 私を聞き続け、私と繋がり続けて、あなたの思考をクリアに保ちなさい。 

そして私たちが「一緒に」癒すのです。


これでこの主題が全部クリアに示せた訳ではありません。
しかし、これが今あなたに聞けることなのです。 だから私たちは先に進み、このことに関しては後でまた話しましょう。

2010 53日 あなたはより多くを聞けるポイントに来ているでしょうか? はい、そうです。

今あなたが第6章の中で読んだ通り、「より多く」は実際には「より少ない」のです。  {「より多く」を自分の意志で自分のために得ようとすることは、「(神の意志)より少ないもの」をあなたにもたらしてしまいます。}

「私の声」だけを聞くことをあなた自身に許しなさい。 このことだけを行いなさい。 私は「精霊」へ開かれている「ドア」なのだから。

何が起こっていたにしろ、直ぐにそして直接私のもとに来なさい。 そうすれば、あなたは癒され、それにより癒すことが出来るのです。

あなた自身の声を聞くことは止めなさい。つまり、答えを求めてあなた自身の思考を使うことは止めて、私か「精霊」のもとに直接来て答えを聞きなさい。)


YOU are a miracle, capable of creating in the likeness of your Creator.

あなたが奇跡であり、あなたは「創造者(あなたを創造した神)」の形に沿って創造を行うことが出来るのです。

これはとても楽しい「真理」ですが、少し説明が必要でしょう。

「あなたの全て」そして「あなた達全員」が奇跡です。

「神」が「奇跡」です。 そしてあなたは「神が表現されたもの」です。
この理解を使えば上記の文章がよりクリアになります。

あなたは奇跡であり、奇跡としてのあなたの「役割/機能」は、「創造」すると同時に……
いいえ、この言い方はあまり正しくありません。

「神の栄えある創造」を意識的に示した時、あなたは奇跡なのです。
あなたが自身の「源」を現した時、あなたは奇跡なのです。


Everything else is only your own nightmare, and does not exist.

それ以外のことは全てあなた自身が作った悪夢であり、実存していません。

だから常に問題は『あなたは何を見ようとするのでしょうか?』 です。

この「見ようとする」には二つの意味が込められています。 見ようと意図することと、そして何かを意識的に見るということです。

これは例えば、
「神」よ、私はあなたの見方ではなく、自分の見方で見たいのです。 何故なら私の見方の方が「愛」や「光」より面白いのだから。
ではなく、
「神」よ、私の兄弟姉妹が居るところにあなただけを認識するように私は意図します。
ということです。

二つ目が「正気」へ戻る道で、一つ目が狂気です。


200663

Only the Creations of Light are real.

「光の創造」だけがリアルなのです。

おお! 「光」だけを見続けている私でさえも、「わたしが見ているもの」によって喜びに満たされない訳にはいきません。

あなたの世界は、限定されている視点から出来ており、それは「美」を歪めて暗く痛みに満ちたものにしています。  一番善良な見方をしている時でさえ、それは痛みをもたらします。そして、あなたはそれがいつの日か失われてしまうことを「知って」います。 何故ならば、それが物質と呼ばれているものの法則だから。 

このように限定されている信念が、死と呼ばれている樹木の醜い根っ子なのです。 これは「真理」からは程遠いものです。

この醜い基盤の上に人間全体の絵が描かれています。 そこには永続するものが何もありません。

あなたがこれを(世界は物質から成り立っている限定されたものだと)信じている時、あなたは「真理」から一番遠い所に居るのです。

あなたの「生命」が「神」によって「永遠に保障」されているように、あなたの「美しさ」とあなたの「マインド」(あなたの輝ける「光」の実体)も「永遠に保障」されています。

(この「光」が「愛」であり、あなたはその中に「全兄弟姉妹の共同体」と神聖な原則に則った「良きこと」を保っているのです。)

これら「全て」は「神」によって「保障」されています。

だから、あなたが生まれ育ち熟成し衰退し死んで行くように見えている間も、本当は何も起こってはいないのです。 何故なら、あなたの「生命」は「神」によって「永久」に「保障」されているのだから。

「光」であるということがどれだけ楽しいことかあなたに解りますか?



25. Miracles are part of an interlocking chain of forgiveness –

25. 奇跡は赦しの連鎖網の一部です。

「知覚の瞬間的シフト」(急激な目覚め)が起こった時、つまり「聖なる瞬間」に、あなたは「与える意志」を持てるようになります。

ハートが「真理/愛」で満たされて、それが溢れ出て、それを流れ出させることを自然と熱望するようになるのです。

すると人は、与えようという、「愛」そうという、大きな願いと共に兄弟姉妹に向き合うようになり、その瞬間「取ろう/奪おうとすること」から「与えようとすること」への細微なシフトが自然と起こります。

常に満たされている人は、与えること以外は出来ないのです。

丁度それは、サン~ローズ、あなたが今これらの言葉で満ちて輝いており、友人のジェニファーに電話をかけてこのことを彼女と分ち合いたいと思っている状態のことなのです。 今、電話して構いませんよ。

あなたが誰かと分ち合った時、その人がギフトを意欲的に受け取ったなら、「与えている人」と「受け取っている人」の間に見えない繋がりが作られます。

覚えていますか?  あなたが私にくれた大きなぬいぐるみの猫を私がどれだけ愛していたか。 私はあのギフトやそれを開いた瞬間を忘れたことがありません。 あれは丁度私が欲しいと思っていたものです。 あのギフトを見た瞬間、私自身がそれを理解しました。

私がらい病の人を癒やした時、癒やされたその人は“私のらい病を治してくれてありがとう。 と言いました。
らい病を癒やすことが、私から彼へのギフトでした。

「彼」に対する私の「愛」を感じてみなさい。
それは私の「喜び」です、兄弟よ。 

私が彼に触れ癒したこと、そして「私たち(彼と私、そして全ての人)が対等/平等である」と後日私が認めたことを、この人が決して忘れなかったことこそ私の「喜び」です。

その直ぐ後に彼は目覚めました、そして、とても多くの「愛」のギフトを与えました。 この「愛」のギフトが、それを受け取ったハートを癒す準備をしました。

私がここに来た後に、沢山の癒しが起こったのは、この出来事のせいです。

ハートは「愛」で満たされ張り裂けそうになります。 だから、断食し、祈り、死者を蘇らせ、病を癒すことは難しくはないのです。

癒された者は、彼の受け取ったものを、そしてそれ以上を与えたいと願うようになるのです。


which, when completed, is the Atonement.

それ(赦しの連鎖網)が完成すれば、それがアトーンメント(和解/贖罪)になるのです。

この文章を読んでいる時のあなたの喜びがアトーンメント(Atonement = At-One-Ment ひとつであること)を雄弁に語っています。

そして私はあなたの存在を感じています(あなたが私を感じ、あなたの神性を私が認識していることを感じているように)。 これが「目覚めている私たち」がいつも感じていることなのです。

~*~

[次の会話では彼の方から話し掛けて来ました。 (らい病の人を癒した時の)非の打ちどころのない彼の「愛」と思いやりに対して私が感じ入っている時に、この会話が始まりました。]


(サン~ローズ: 私がどのように感じているか、ですか?)

はい、答えてください。

(サン~ローズ: 私はとても安心しています。 あなたにとても認められ「愛」されているように感じます。 とても満たされた感じ、これ以外のものは必要ない感じです。 あなたのように私も与えたいです。娘のサラとの関係で困難を体験していましたが、それでも「平和」に感じています。)

あなたが友人のロバートにギフトを贈り、彼からのギフトを受け取ったことをあなたに感謝します。

(サン~ローズ: 本当にありがとう。私はあなたなしでは何も解りません。
私たちが共にしてきた体験を振り返って見ると、(私が気付いていなくとも、そして私があなたに気付く前から)あなたが常にそこに居たことが感じられます。
このような「愛」、このような「サポート」は、マザー・テレサやメリー・ベカー・エディー以外では、この世界では稀なことです。) 

あなたはサラをサポートすることによって、このような「愛」が稀でなくなることに貢献しています。

そして、これはあなただけではなく、自閉症の子供を癒そうとしている多くの両親達にも言えることです。

これは「精霊」が「ひどいこと(不当なこと)」を「良きこと」に変えている好例です。

あなたは、自己中心性に凝り固まったこの世界に対して自分がどのように貢献しているか全く理解していません。

「愛」の実例は輝ける「光」のようなものです。

はい。 この文章を、他の親御さんたちも読めるように張り出してもらって結構です。

彼等も、子供たちを助けることを通して自分たちがしている「良きこと」を知る権利があります。


本は(宗教の教えと同じように)、その原則を生きなければ(実践しなければ)何の意味もありません。

それが説いている良きことは、実践されなければすぐに消えてしまいます。

それを生きている人達(それを実践している人達)は、全てのものを祝福しています。 では、ワークに戻りましょう。 遊びに戻るといっても良いですね? 一緒にいることは楽しいでしょう。 

(サン~ローズ: はい、とても!)


~*~

This process works all the time, and in all the dimensions of
time.

このプロセスは、時間の全次元内で常に働いています。

あなたが意識のポイントの上で意識というポイントとして生きていても、あるいは二次元上のフラット・ランダー 15として生きていても、あるいは三次元的な「人間」として生きていても(どのようにあなたが生きていたにしろ)、「愛の拡張/広がり」があなたの「ギフト」を全てに対して与えているのです。 そしてこれはワンネス(一体性)への、「故郷」への、とても大きな一歩なのです。

ワンネス(ひとつであること)がどれだけ自然に感じられるか、そして『孤独で卑小なものとしては存在せず、ひとつの偉大な全体の「本質的表現」として存在すること』がどのように感じられるか思い出した時、あなたはワンネス/故郷への一歩を踏み出しているのです。

これらの言葉をフィーリングとして感じることは難しい場合もありますが、あなたはこの感覚を上手く捉えています。

それは、母の胸に眠る幼子が感じている平和/安全なのです。


200665日 1:45am

I am in charge of the process of Atonement,

私が「アトーンメント(和解)」のプロセスをつかさどっています。

アトーンメント(和解/贖罪)、寝ている兄弟姉妹たちの分離したマインドをひとつにすることを私が管理しています。

何故なら私は目覚めているから。 何故なら私が「ワンネスと愛」を思い出したから。 だから私のステップが、私の故郷への帰還が、「愛」への道が、アトーンメントの道筋になったのです。

「取る/奪うこと」から「与えること」へ、そして「(愛そのものだけを)与えること」へと戻ることにより、この帰還が達成されたのです。

「分離」(「故郷」を忘れ「愛する源」を忘れること)が余りにも完全に行われていたので、(酔っ払ったように急激に増殖していた)夢見ている者達の多くは、自己に固執して「愛」を完全に忘れていました。

取ること/奪うことだけが、意識の唯一の焦点になってしまったのです。
どのようなものであれ、取ることが妨げられた場合、怒りが発生するようになりました。 怒りはとても不思議で奇抜なもので、「助けるために来ている者達」は、その恐怖と激しさには耐えられませんでした。


あなたは自分の体験の中に今この取ろうとする激しい欲求を見ています。
これは全く真実ではありませんでした。

「助けるために来ている者達」の気遣いと「愛」は、たとえそれがとても短いものであっても、有用なものでした。

彼等が「愛の現れ」を夢の中に入れたことにより、(分離の永続を確保するために形成されていた)定義群(共有されている決め付け)の中で「愛の記憶」が取り戻され、その中に「愛の記憶」が取り込まれたのです。

そして彼等が僅かの間「永遠の光の現れ」として夢の中に「押し入って」来たことが、癒しの可能性をもたらしたのです。

このようにして、夢の恐怖が少し和らいだのです。

私たちが夢の中に少しの間留まり(あるいは静かに長い間留まり)、そして「愛/全体」へのシフトを優しく導入することが可能だと証明されたのです。

あちらこちらで「兄弟姉妹」のハートが開かれ、彼等も立ち上がって「夢見ている者達」の「目覚め」のために「彼等自身」を捧げる決意をし直すことが出来たのです。
そして「私」も「そのひとり」なのです。

(「父」を反映している)不変な「愛」と「癒し」の道が、私の道になったのです。 そしてゆっくりと夢がシフトし始め、より多くの「愛」が可能になりました。

愛の無い時期の名残は、もう僅かしか残っていません。

それはイク(IK)と呼ばれているアフリカの部族の中に残っていました。
そこで人々は夢の中に入って3年後には独立してしまいます。
その夢は、筋金入りの「奪う人」で一杯です。
(訳注: イクとは戦争を境に社会的モラルの崩壊を迎えたアフリカの一部族のことです。ブリンジ・ヌガグ食うものをくれ 」コリン・ターンブル著 筑摩書房

私が今これを言っているのは、サン~ローズ、あなたを助けたいからです。

あなたが憎しみに引き込まれることなく物事に対処する度に、あなたは「愛」と共にそこ(夢)から去っているのです。

これが、このように憎しみから去ることが、アトーンメント/和解の道です。
これが、容赦無い奪い合いの中にいて「与えること」の実例です。

これは『憎しみに全く取り合わず、それに対して揺るぎ無い「愛」で迎えること』(これは辛抱強く子犬を躾ける時に似ています)だとあなたには理解出来ています。

「愛」は、憎しみと自分勝手に対する否定として毅然と立つものです。
これは無言のノー(否)であって、それでいて全ての力を有しています。

例えば「K」が他の人に愛情を示した時、「K」から嫌われているにも係わらず、あなたが「K」を抱擁したことは、私が話していることの一例です。
これが誰の注意も引かなかったと考えるのは止めなさい。

その通りです。私は憎しみに対しては余り話していません。それはここでは既によく理解されていることだからです。

しかし、この道のバイタリティー(生命力)と「愛」の生き生きとした効果を明確に思い出させるよう、これが既に歩まれている道であることをあなたに知らせておく必要があるでしょう。 

憎しみとは狂気のもたらす形で、「愛」こそが正気だと理解しなさい。
癒しは、あなたが私と共に「修正」に「成ること」によってもたらされます。


which I undertook to begin.

私がこの道を開始したのです。

そして「私の兄弟姉妹」が一緒に来てくれるのは嬉しいことです。

もうベッドに戻って構いませんよ。 私が言ったことをあなたの中に吸収しなさい。

『「与える存在に成る」というゴールを達成するには「愛の現れ」と繋がることが最も重要である』とあなたは気付きました。

これが、これだけが「ノーマル」な、「自然」なことなのです。


200666

When you offer a miracle unto any of my brothers, you do it unto YOURSELF and me.

あなたが、私の兄弟の誰かに奇跡を差し出した時、あなたは「あなた自身」と私に対してそれを行っているのです。

あなたが奇跡を捧げている時、あなたはあなた自身を差し出しており、あなたが奇跡なのです。

これはどういう意味でしょうか?

あなた達全員が本当はどのように見えるか、あなたに解ってもらえたら、どれだけ素晴らしいでしょう。
両親が苦笑して(しかし愛情を込めて)、活発な子供のことを「寝顔はとても可愛い」と言ったりするでしょう。
私たちはそのように感じています。あなた達は寝てしまっていますが、全員とても美しいのです。 私たちはあなた達全員をとても「愛して」います。

「誰かが孤立し悲しんでおり愛されていない」などと云うことは不可能なのです。

孤独。 そうあなた達全員は(程度の差こそあれ)それを感じています。 しかし孤独に感じている人達も決して孤立してはいないのです。

あなたのための助けは何時でも、云わば「息よりも近く」4に、用意されています。

あなたが「奇跡を差し出した」時、その気遣いが孤独を解消します。
違いますか?

その時あなたは大切な者を祝福するために、「自身の卑小な自己感覚を越えたもの」へと手を伸ばしているのです。

孤独のない所で、気遣いの豊潤さがあなたの奇跡をあなたの前に持ってくるのです。

癒しが、あなたの兄弟姉妹の前に、彼等の奇跡を持ってくるのです。
(それはもちろん、あなたのものでもあります。 何故なら、マインドは繋がっており、ひとつを祝福するものは全てを祝福しているのだから。)

そして私は(地獄と見えている状態の中で、他者を気遣う故に、自分のことは一瞬忘れて「愛を差し出している/愛を拡張している」)あなたに会えて光栄であり、それによって祝福されています。

これは兄弟姉妹全体にとって、大きな満足をもたらすことなのです。

「神聖なる性質/本質」をこのように示すことは、あなたの「存在」の不変な「リアリティ」を「愛」として美しく指し示す(実際に行って見せる)ことなのです。


The reason YOU come before ME is that I do not need miracles for my own Atonement,

あなたが私の前に来る理由は、私が自分自身のアトーンメント(和解)のために奇跡を必要とはしていないからです。

何故でしょう?  夢から目覚めへとシフトしたことによって、私は常に(「私たち全員」が「愛/生命」と共に築いている)「永遠のワンネス/一体性」を意識しているからです。


but I stand at the end in case you fail temporarily.

しかし、あなたが一時的に失敗してしまった時のために、私は後ろに控えています。

ここで一番重要な言葉は「一時的に」です。

人間的状況が、苦痛に満ち/吐き気を催させるように見えていても、それは一時的なものです。

あなたはただ単に「自分が誰か/自分が何か」忘れているだけなのです。 
だから大罪など無いのです。

そこに在るのは(故意の)記憶喪失であって、何か「リアル」な変化が起こったのではありません。何故なら「リアルなもの」を変えることは出来ないのだから。

だから、あなたを助けるために(必要ならあなたを抱えて行くために)私が傍に立っています。


The purpose of my part in the Atonement is the canceling out of all lacks of love which men could not otherwise correct.

「アトーンメント(和解)」の中の私の役割は、愛の欠乏を全て取り消すことです。 私の助けなくして、人にはこれが出来ません。

何故あなたには「愛」の欠乏が修正出来ないのでしょうか?
もしそう出来るなら、あなたはそうしたことでしょう。

あなたにそれが出来ないのは、あなたが「愛」の欠乏に気付きさえしないからです。 あなたはそれを認識出来ていないのです。

夢の状況内で相互合意されている定義群(共有されている決め付け)には、二つの主な基盤があります。

それは「エゴの存続」と「死」です。

そしてそれらは、その他の定義(世界に対するあなたの信念体系)同様に本当は不可能なのです(間違っているのです)。

「マインド全体」/「生命」/「愛」だけが実存しているルールなのです。


200667

ここで私は何を言おうとしているのでしょう?
ここで達成するべきことは何も無いのでしょうか?

あなたは、か弱い「モータル/必滅者」ではなく、あなたの知性や行動や生存率に大きな影響を与えて来た「遺伝」や「環境」の被害者では無い、ということでしょうか?

『あなたは非常に限られた範囲でだけ何かを向上させることが可能である、何故ならあなたは人間でしかないから』という信念は、全く出鱈目なのでしょうか?

はい、そうなのです。
その通りのことを私は言おうとしているのです。

あなたは人間ではなく、モータル(必滅者)でもありません。
あなたは罪や病や死の対象になる者ではありません。

あなたは死すために生まれて来たのでは無いのです。

自分のことをモータル(必滅者)と考えるのは、とても奇妙な概念です。
あるいはメリー・ベカー・エディーが書いているように このようなおかしな考えを「生命」や「神」と結びつけたのは、何なのか? (科学と健康‐ 付聖書の鍵)

本当に何なのでしょう?

エゴとは「マインド/生命/愛」に対する(狭く卑小で怖れに満ちた)概念です。 この概念は、「意識全体」を非常に狭い視点に縮込ませたものです。

これは、永遠に臨在している「生命」に対するあなたの体験を、とても縮こまって限定され痛みに満ちた体験に変換したものです。  こうしてあなたは永遠に流れ続けている「愛」を枯れた小川に変えてしまいました。

これがどのように見えているか、より詳しく調べると、私たちには次のことが理解出来ます。


The word “sin” should be changed to “lack of love,” because “sin” is a man-made word with threat connotations which he made up himself.

「罪」という言葉は「愛の欠乏」と翻訳され直すべきです。 何故なら「罪」とは、脅しの意味を込めて、人が自分ででっち上げた言葉だから。

「罪」とは「知性/マインド/生命」の欠如と呼んでも良いものです。 「愛」の欠如が不可能なように、これらもまた不可能なのです。

空想の中で想定されている、これらの欠乏は、その中に喪失の脅し(懲罰)を含んでいます。
これらは、でっち上げられた言葉やフレーズであるだけでなく、その中に含まれている概念も「でっち上げられたもの/噓」なのです。

あなたは、あなたが教えられてきた、そしてあなたが信じている信念システム(世界観/宗教観)により騙されているのです。


No REAL threat is involved anywhere.

リアルな脅威など何処にも存在していないのです。

この間違い(分離から来ているこの間違い)に対する唯一の懲罰は、「人間であるフリをすることから来る自己懲罰」だけです。


Nothing is gained by frightening yourselves, and it is very destructive to do so.

あなた達自身を怖がらせても、何も得るものはありません。 そのようなことをするのはとても破壊的です。

しかし、破壊は「リアル」ではないのです。 何故ならあなたを破壊出来るものは何も無いから。 そしてあなたは「愛/生命/知性」の「現れ」なのです。

初めのうち分離は、あなたを「神」から切り離すことを、その目的としていました。

そして、あなたの狂気の中で(このような分離が可能だという狂気に満ちた幻想の中で)、あなたは「生命/知性/愛」の全てが「あなたのものであること」(何故なら、あなたは「彼/神」を現している者なのだから)を忘れてしまいました。

この幻想のゲームには「リアルな源」がありません。 何故なら、このゲームは現実には実行不可能だから。

そして、これはとても疲れることでもあります。 だから「睡眠」が生まれました。 それが必要/欲求の重要な一定義になったのです。

そして、「このように定義され信じられている絶対的必要事項」に対して疑問を持つ人は稀なのです。

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