13. Miracles are both beginnings and endings. They thus alter the temporal order. They are always affirmations of rebirth, which seem to go back, but really go forward. They undo the past in the present, and thus release the future.
13. 奇跡は初めと終わりの両方です。このようにして奇跡は時間の順序を変更します。奇跡は常に新生(新しく生まれ変わること)の肯定/証言しているのです。それは後ろに戻ったように見えますが、本当は先に進んでいるのです。奇跡は現在の中で過去を修正するのです。そのようにして未来が解き放たれます。
これはとても楽しい体験です。
あなたが自分のマインドをそっと優しく現在に移したなら、あなたの古い過去は消え去ります。そして過去が無くなれば、あなたは自己正当化から自由になります。
これは酷いアイディアに聞えるかもしれません。
「もし私の母が父が、別れた伴侶が、私の上司が先生が、それらのことをしなかったというのなら、全ての問題は私の責任なのですか?」とあなたは考えてしまうかもしれません。
しかし罪悪がない所には過ちもないのです。
罪のない所には罪悪もありません。そして、「罪の夢」は罪をリアルに出来るものではありません。
これをあなた自身のために受け入れなさい。そうすれば、あなたは世界のために自由を獲得するのです。
これを受け入れるのはマインドにとって、とても難しいことです。
何故なら私たちはとても長い間、被害者の衣装を纏い続けて来たからです。
「私の母、私の父、私の亭主、私の女房、私の子供、私の政府、経済、私の人種、私の宗教、私のカースト(身分)が悪いのだ、それらのせいなのだ。」 そして最終的に全ての咎は、これら全てを創造したといわれている「神」に負わされるのです。
これは甲冑のように重苦しい衣装です。それは防御しているように見えて「私たち」を疲れさせてしまうものです。
それでも、ここで私が「私たち」と云っているのは、あなたが衣に捕らえられてしまっているので、私はあなたと共にこれを着て、その重荷を軽減させているからです。
これが私の話した「くびき/荷車牛の横木」(yoke)という言葉の意味です。
“私のくびきをあなたの上に置きなさい。何故なら私の荷物運びは容易で、私のくびきは「軽い」のだから。(私のくびきは光なのだから。)”10
あなたは「私のもとに来て」くれないでしょうか? ここに「来て」あなた自身と私たちの兄弟姉妹の重荷を軽くする手伝いをしてください。
あなたは起き上がることによって、 あなたの横に寝ている「私たち」の美しい兄弟姉妹を助けるのです。
これは(普通の意味での)犠牲ではありません。
私があなたに頼んでいる「これ」は犠牲ではなく、あなたに「幸福」だけをもたらす神聖なる行為です。 “Sacrifice” (犠牲/神への捧げもの)とは、本来は「神聖なる行為」という意味だったのです。
これは過大な要求でしょうか? あなたが今の人生のここで私のもとに来てお互いと遊びながら、眠っている「私たち」の家族を優しく揺り起こすことは。
(天空にある「天国」ではなく)「ここ」である「天国」が「私たち全員」を待っています。
私があなたに頼んでいることは、「愛に値するようには見えないもの」を直ぐに非難してしまわず、優しい忍耐を差し伸べ、出来れば愛をもって彼らに、そしてあなた自身に楽しく笑いかけて、「彼らを愛として考えることが出来る」と示すことなのです。
「愛の現れ(Presence of Love)」にとって、「愛され得ないもの」あるいは「憎まれているもの」のフリをすることがどれだけ重荷になるか考えてみてください。
だからあなた達全員が、これほど多くの時間をテレビと睡眠に費やしているのです。何故なら、「考えられないこと」を考えようとすることは苦悩をもたらすものだから。
このような苦痛から「私たち全員」を解放し、それを「喜び」と取り替えましょう。
14. Miracles bear witness to truth. They are convincing because they arise from conviction. Without conviction they deteriorate into magic, which is mindless, and therefore destructive; or rather, the uncreative use of mind.
14. 奇跡は真理に対して証言を与えます。 奇跡に説得力があるのは、それが確信から現われ出て来るからです。 確信が与えられなかったなら、奇跡は魔法に堕ちてしまいます。 魔法には思慮がなく、したがってそれは破壊的です。それは創造的ではない「マインドの使い方」です。
2006年5月16日
先日、奇跡の原則14. を終らせなかったことに関して心配する必要はありません。
あなたが聞き、そして分け与えるべきだったことは、15. から始まっていました。 そして今私たちは 14. に関して話しましょう。 これが今日の必要を満たすでしょう。
「真理」が「リアリティ」です。「真理」とはすべて「良きもの」です。 だから奇跡は『存在し続けている「リアリティ」の「全てが良きもの」である』と証明するものなのです。
このことが、『「いま」だけを「意識」し続けることが必要』だと示しています。 何故なら「あなた」が必要としていることは「今」なのだから。 それは、過去にこだわることや未来の中には見つかりません。 過去も未来も「リアリティ」の中には存在していないのだから。
もう一度繰り返して言いましょう。
あなたが必要とする「全て」は、「今」の中に存在しています。
それは『「今」としか言いようのないもの』の中にだけ見ることが出来るのです。13
それは見ることが出来るだけでなく、触ることが出来、聞くことが出来、芳しく甘い味がするのです。
あなたの感覚は決して分離していません。体験とは多感覚的なものです。
一つの感覚が現れるとき、それは決まって他の感覚の伴奏と共に現れるものです。 「天国」のシンプルな鳥の歌声は、交響曲よりも複雑で精妙です。
私が述べていることは全て「天国」の豊かさとその充足なのです。
「必要」という言葉自体も、本来不可能なのです。
私たち全員がその自然で普通な「聖なる係わり合い」の中で「お互い」に与え合うなら、あなたは完全であり、満たされ溢れているのです。
これがどのように感じられるものか、その一例を挙げましょう。 これはかなり前に私があなたに投げかけた質問を補足するものです。
もしあなたの全ての出会い、兄弟姉妹や一本のバラや一粒の砂や一匹の蚤が「愛」の最大表現を表しているとしたなら、それはどのように感じられるでしょうか?
ええ、「全て」を「今」の中に含めることにより「私」はより深い学びを与えています。
これは、人がとても「愛に」満ちている時、とても「愛」で満たされているがゆえに、否応無く愛が溢れ出て、全ての人とものをそれに浸さずにはおられない、「溢れ出ること(running over)」(詩編23番) なのです。
だから、暑い日に子供たちが水遊びをして、お互いに水を掛け合って、笑い喜んでいるように、「私たちの今」は「愛」と「喜び」に満ち、永遠に分かち合われているのです。
人間的な感覚から来る「孤独」は、全く存在していません。
生命は「永遠」に奇跡的であり続けます。
15. Each day should be devoted to miracles.
15. 毎日を奇跡に捧げるべきです。
2006年5月13日
はい、確かに。「創造」そのものが奇跡的なのです。 それは「良きこと」で溢れかえっています。
この「良きこと」を学ぶことが、奇跡のヴィジョンを学ぶことが、それらを疎外しようとすることよりも、より多くのお金を取得しようとすることよりも、興味深いことではないでしょうか?
今日私は何回『「私の全て」を神が与えてくれていること』に気づいただろうか、と自分自身に尋ねることの方が大切ではないでしょうか?
金融界に勤めているあなたが、不公平に裁かれていると感じないよう次のように言いましょう。
私はお金が悪いと言っているのではありません。
しかし、エゴにとっては「モノポリー・ゲーム」の中で家やホテルを買うために、良き行いや奇跡を行ない続けることは面倒なことでしょう。
シンボル(象徴)は「リアリティ」に取って代われるものではない、と私たちは覚えておきましょう。
あなたは「神の動き」(「神」が現れ出ること )によって永遠に存在しています。 そしてあなたの「存在」は、何時でも完璧なのです。
The purpose of time is to enable man to learn to use it constructively. Time is thus a teaching device, and a means to an end. It will cease when it is no longer useful in facilitating learning.
時間の目的とは、それを建設的に使えるよう人に学ばせることです。
だから、時間は学習教材であり、目的を達成するための手段なのです。時間は、学習を促進する上で、それがもはや有用ではなくなった時に消え去ります。
あなた達全員が「神」に背を向けた時、あなたは自分たちの体験が安定を欠いていることを突然発見しました。(動きを上手く制御することが出来ない)空中遊泳中の宇宙飛行士のように。
「永遠」と「天国」には重力の法則は含まれていません。しかし「聖なる秩序」がそこに存在しており、私たち全員はその中で、喜びをもってお互いと適合しています。
全ての人が絶対に不可欠なのです。この「秩序」を言い表せる適切な言葉は存在していません。
この「秩序」がそれ自身をあなたの上に押し付けることは決してありません。 しかしあなたは、この「秩序」の不可欠な一部なのです。この「秩序」があなたの「基盤」なのです。
「源」でさえも、『「リアリティ」がどれだけ調和的で内包的(全てをその中に含んでいる)か、従ってどれだけあなたが重要か』を十全に示してはいません。
あなたはこの「天国」の枠組みに対する記憶を欠いているので、その代わりに時間と空間を持っているのです。それは「いま」と「ここ」に対するとても貧しい代用品です。
本当のところ「リアリティ」に対する代用品は存在しません。
時間と空間は単に「ゲームを遊ぶための奇妙な枠組み」をあなたに与えているだけなのです。
「時間」という言葉/アイディアの唯一適切な使用方法は、世界に対するこの奇妙な見方を放棄して、私のくびきを運ぼうと(私のものの見方を受け取ろうと)あなたがする「時」だけです。
これはとても美しい「眺め」です。
あなた自身の偉大さをあなたが見れるようになることが私の願いなのです。
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