Mar 15, 2011

あなたは#9


26. Miracles represent FREEDOM from fear. “Atoning” really means “undoing.”

26.  奇跡は怖れからの「自由」を示しています。 あがなう(Atoning)とは本来は「解除する」という意味です。

At-One-ing (あがなう)とは、「父であり母である神」ともう一度ひとつになろうとすることで、分離を「解除」するということです。

私たち全員が自発的に行った(私たちの愛に満ちた「父/母」である)「神」からの分離を解除すること、がアトーンメント(解除/和解)なのです。

分離した後で「息子」が行った一番初めの行為は、自分が「父」を否定したことを神に投射して(投げつけて)、自分達を「神の怒り」の被害者としてとらえ直すことでした。

「神の怒り」というものが想定され、それにより自分達はパラダイス(神に近い所)から追放され、(自分達で作った)世界を彷徨うようになったということに関しても「神」に要因が転嫁されました。

この神話は、沢山の「夢見ている人達」を自分達が作った鎖に縛り付け続けてきました。 人々は、想像上の「父の怒り」や(もう一つの馬鹿げた神話である)「地獄」に対面するよりも、(自分達が作った夢の中の)拘束を選び続けてしまいました。

大きな看板に大きな文字で「父のもとに帰って来なさい。」と書いてあり、隅の方に小さな文字で「それには、まず地獄の火に焼かれなさい。」と書いてあるわけです。

「神の行為(act of God - 自然災害に対する英語表現)」と呼ばれている全ての破壊的災害の責任を負ってい、そして永遠の責め苦である地獄さえも発明した、そのような神を信じられる人がいるでしょうか?

疲れる人生であっても、それをもう一回生きた方が、永遠の拷問を受けるよりもましに思えるでしょう。

エゴの信念システムがどれだけ巧妙か解ったでしょう?

あなた達の全てのルールが、あなたに「神」を恐れさせ、「神」から距離を置くようにデザインされているのです。


The undoing of fear is an essential part of the Atonement value of miracles.

怖れを取り消すことが、奇跡のアトーンメント(和解)効果の重要な部分です。

全ての奇跡は、「神」に関するあなたの馬鹿げた神話が「愛」に対するひどい噓であることを示します。

奇跡を通して「神の愛」が、その「聖なる存在を知らしめる」に従い、あなたはその存在を奇跡の中に感じ始め、怖れが和らいで行きます。


200668

私たちが居るここに、脆弱な「神の被害者」が居るように見えている所に、「神聖なるもの」があるのです。

私がお話した「放蕩息子」の寓話が、ここで意味を持ちます。

ここで「父」は、悔い改めて戻ってきた「息子」が謝り言い訳するのを押し留め、その口を黙らせ、彼の「所持品」(「天国」という彼の永遠の相続)を受け入れるよう促すのです。

これはユーモラスな話しなのですが。 この寓話は(懲罰を与える「神」を信じ切っていた)私の聴衆にはほとんど理解されませんでした。


彼等には(復讐の喜びを良く学習していた人達には)、この「父」が優し過ぎるようにさえ感じられたのです。

(怒りをもって「復讐するは我にあり」と叫び立てている)「懲罰する神」に魅入られていたエゴにとっては、このような考えは物足りなかったのです。

復讐する(借りを返す)喜びを(自分に対して)全て廃止した「神」は、独善的に容赦無く無慈悲に裁く権利を否定した「神」は、そしてこの寓話は、当時の人々には馬鹿げて見えたのです。 そして現在でも、この話が馬鹿げていると考える人はいるかも知れません。
「その馬鹿な息子は自業自得だから。 ずっと彷徨わせておきなさい!」という具合に。

あなた達全員がお互いに対して、どれだけ容赦が無いか解りますか?
そして赦しをあなた自身のためだけに確保しようとしていることに気付きませんか?


200669

(特定のCDを流した方があなたをより良く聞けるように成りますか? という私の質問に対して彼は、 では試してみましょうか? 私たちの繋がりは強固なので、あなたはそう望むだけ私と繋がれるのですが と言いました。
“しかし、より良く聞くためにCDを試してみようというあなたの意欲が、よりクリアに聞くことの助けに成らないとは私は言いません。
あなたの意欲を私は嬉しく思います。 早速試してみましょう!“ )


The purpose of the Atonement is to restore EVERYTHING to you; or rather, to restore it to your AWARENESS.

「アトーンメント(和解)」の目的とは、あなたに「全て」を修復させることです。 と言うよりは、あなたの「意識」の中の全てを修復することです。

既に言いましたが、アトーンメントとは、At-One-Ment(ひとつに成ること)です。 これは、自分と「神」の「ワンネス/一体感」を感じたいとあなたが熱望することによりもたらされる状態です。 そして私はあなたの熱望を感じています。

常に何時でも私と一緒に居るようにしなさい。

これらの聖なる瞬間に、時間が消え去り、あなたは本当に「存在の現われ」として存在するのです。

そのような時には、より一層私の近くに居なさい。 あなたは既に「繋がり」によく気付いていますが。

聖なる瞬間に降伏し、それに譲っている時、あなたは私に対する意識的「気付き」を保ち続ける必要があります

そうでなければあなたは、私から押し出された後に自分一人で泳ぎ出してしまったように感じるでしょう。 しかし、そう感じるべきではないのです。

あなたは、一言書く度に私に訊ね続けるよう、自分のマインドを躾ける必要があります。 たとえ面倒でも、それが「流れ」を遮ってしまうように見えても(実際にはそうではありませんが)、そのようにする必要があります。

これは平均台の上を歩くような感じです。
しかしバランスを取るのではなく、「バランスそのもの」に成るのです。

この時点で私はあなた個人に話しかけていますが、これらの指示は、それをする意欲のある人達全員のものでもあります。

意志/意欲(willing)とはとても興味深い言葉です、この言葉は夢の信念の二元性をクリアに示しています。

人が何かを起こそうとしている時、それは強烈な自己意志の状態です。 それは魅力的ではなく、全く有用なものでもありません。

「豊かさを創造」したり「平和な世界を創造」しようとしている時、このような意志が現れているのです。 エゴが選んだゴールが利己的に見えても、あるいは他愛的に見えても、それは結局同じことなのです。

これはエゴを喜ばせることで、とても幻惑的なものなのです。
エゴは、これをして歩いている間、自分を神聖に感じることさえ出来るのです。

しかし、譲ること/従うことを厭わない(Be-ing willing)とは、人間的意志の使用の対極にあるものなのです。

それは、聞くことを厭わず(聞く意欲を持ち)私が導く所へ、「神」が導く所へ、「精霊」が導く所へ、何処へでも行くことなのです。

これが必要とされている体験です。 これが、エゴの無い状態へ踏み入って行き、思考からの自由を得る美しい体験なのです。

「繋がりたい」とより強く思うようになっている時、あなたは、あなたの中から放たれている「故郷への愛」に引き寄せられているのです。

そして、この「故郷」とは、常に「ひとつである状態(At-One-ment)」にあること、つまり全てとのワンネス(一体性/一体感)に留まり続けることです。

これは「愛」の感覚が増し、「愛」そのものが「全てを内包」し始めることから始まります。


You were GIVEN everything when you were created, just as everyone was.

あなたが創造された時、あなたに全てが「与えられた」のです。
これは全ての人が同様なのです。

そして下記が興味深い部分です。

あなたには「全てが与えられました」。 しかし「全て」に対するあなたの「ワンネス」にはいわゆる所有権は含まれて居ません。

「地上の主権を与えられている」とは、「(コントロールしたり影響を与えることで、あなた個人の意志に従わせられる)独占的所有権(独り占めにする権利)をあなたが持っている」という意味では無いのです。
しかしエゴは、そのように解釈してしまうのです。

次のように説明しましょう。

あなたが全てを持っているように、あなた以外の「全て」の存在も全てを持っているのです。
このような、お互いと繋がり合っている根源的完璧性(満ち足りている状態)が存在しています。
そして完璧性とは、強烈に満たされている状態のことを意味しているのです。
私の器が満ちている。(詩編23)という具合に。

そしてあなたの「完璧性」(満ち足りている様子)は、決して他者の「完璧性」(満ち足りている様子)の犠牲の上に達成されているのではなく、他者の「完璧性」はあなたの「完璧性」を本質的に含んでおり、それを絶対的に必要としているのです。

これが「神聖なる意識体験」なのです。


When you have been restored to the recognition of your original state, you naturally become part of the Atonement yourself.

自分の原初の状態を認識出来るようになったら、あなた自身も自然とアトーンメント(和解)の一部に成ります。

私が今朝言ったこのことが、あなたを(あなたの正気と健全を)修復する鍵なのです。
そしてこれは、マインドを変えることだけで行えるのです。
あなたの卑小な脆弱なエゴのマインド体験を「神/聖なるマインド/あなたの正しいマインド/精霊」で取り替えるのです。


As you share MY inability to tolerate lack of love in yourself
and others, you MUST join the Great Crusade to correct it.

(あなた自身や他の人たちの中にある「愛の欠如」を容認出来ない)私の性質をあなたが受け取ったなら、愛の欠如を修正する「偉大な救世軍」にあなたは加わるべきです。

これが、昔私があなたに教えた「修正に成ること」です。
あなた自身が修正そのもの、「既に修正されているもの」(ゆえに修正をもたらすことができる者)に成るのです。

あなたは食事に関して、断食に関して、これを行いました。(著者は食事/栄養に関する著作をアメリカで発表しています。)
そしていま、思考を断つべきなのです。16


2006611

あなたは、サラとの関係や、床下浸水や、お手伝いさんの「V」が辞めたことなど、難しい一日を過ごしています。

しかし、あなたは自分で考えられるよりも多くの平和を感じています。
思考を最小に留め、アンジェラへ親切と「愛」を与え、服役中のJ」と率直に話すことが出来ました。

ええ、いつかより良く出来るようになるでしょう。
聞くことはまだ十分では無かったかも知れませんが、思考の不在があなたを「平和」に保ちました。

次の文章に進みましょう。


The slogan for the Crusade is “Listen, learn, and DO;” –Listen to my voice, learn to undo error, and DO something to correct it.

この救世軍のスローガンは「聞いて、聞いて、そして行いなさい」です。
私の声に耳を澄ませ、間違いを正せるよう学びなさい、そして間違いを修正出来るよう「行いなさい」。

よく言われている「聞いて、学び、行う」という標語は、「聞き、その正しさを感じ、その正しさそのものに成りなさい」と理解するべきです。

この文章で十分です。 この時点ではあなたには簡単な仕事が与えられています。 それは、あなたと共にいる私を感じることです。

そして私はこれを全ての人に対しても言っているのです。
あなたにはまだ理解出来ていないワンネス(一体性)の中で、私をあなたの傍に感じなさい。 このワンネスは完全に「真理」で、永遠で、これがあなたの「存在」の「礎」なのです。

私と一緒にサラの夕食を作りましょう。
私と一緒になって、あなたという私にサラの食事を作らせてください。

これは優雅に譲るということです。 そして「あなたの正しいマインド」が「あなたに成ること」を許可するということです。


2006613

そして私は「あなたの正しいマインド/正気」へのドアとして立っています。 と同時に、私は「あなたの正しいマインド」と同じ「実体」でもあるのです。
こうして私は「正しいマインドの英知体験」をあなたに与えているのです。


The power to work miracles BELONGS to you.

奇跡を働く力はあなたのものです。

何故でしょう? それはあなたが奇跡だから! 
「創造の全て」は奇跡なのです。


I will provide the opportunities to do them, but YOU must be ready and willing, since you are already able.

それらの奇跡を行なう機会を私が与えます。 しかしあなたは、そうしようという意欲と意志を整えなければいけません。 あなたには既に、奇跡を行う能力があるのだから。

何があなたにその意欲を持たせるのでしょうか?

それは、全兄弟姉妹への「愛」の可能性に対して開かれているハートです。

では、何があなたの準備を整えるのでしょう?

それは「これが自分だとあなたが考えているもの」を越えて伸び上り、助けを求めて(つまり「神聖」と「繋がって」)「愛」を表現しようとする意欲です。

もちろんここでは、助ける者になることで達成されるエゴの満足(これが私が「癒されていないヒーラー」と呼んだものです)は得られません。 

そうではなく、癒された兄弟姉妹/ファミリー/状況が得られるのです。

これが、癒されたバラや動物や気象状況や土地を持ってくる(引き出す)のです。


Doing them will bring conviction in the ability, since conviction really comes through accomplishment.
The ability is the potential; the achievement is its expression; and the Atonement is the Purpose.

これ(奇跡)を行うことで、能力に対する自信/自覚が得られます。
何故なら、自信は行うこと(達成)から来るものだから。
能力とは可能性のことで、達成とは表現のことです。
そして「アトーンメント(和解)」が目的なのです。

何故私があなたを(この役割に)選んだか解りますか?
もう解ったでしょう。 あなたは今私を聞いたから!
それはあなたが「無学な者」だからです。

経歴から言えばあなたは、勉強には興味の無かった高卒者にしか過ぎません。 あなたは学校で受けた教育よりも(お母さんと一緒に読んでいた)ミステリー小説の方をより詳しく覚えているぐらいです。

そしてあなたには、もう一つ重要な資格があります。
それはあなたが『あなたの知っていること』や『あなたが体験した奇跡』の原因を(「あなた自身」には与えず)「神」に(そして後日私に)対して与えていたことです。
これがあなたのマインドを、聞くことや癒すことに対してオープンにしたのです。

そしてあなたは自分が(私を聞いているのではなく)記憶を探り始めていることに気付いた時、それを直ちに止めて、私に注意を払い続けています。
そのことに関しても、私はあなたに感謝しています。

だからあなたの能力/決意/功績は全て『奇跡の「源」に聞き入りそれを認識したい』というあなたの意図の中に実っています。
これがアトーンメントなのです。

サラがあなたの注意を引きたがっているので、ここで止めた方が良いでしょう。
そしてあなたにも解ったように、「聞くこと」は難しい状況を緩和する助けにもなるのです。

非常に硬直した状態(として見えていること)に対する癒しが起こるでしょう。
あなたは彼女のために柔軟で素直になる必要があります。
素直さの代理人に成るのです。

覚えておいて下さい。 マインドは繋がっており、だからあなたは他の人のために行うことが出来るのです。

「素直」そして「強情」という言葉を見てみましょう。
片方は教え易く、扱い易く、従順です。 もう片方は、教えられることを嫌がり、扱いにくく、言うことを聞きません。

もちろん、間違えやエゴの統治を拒絶するのは正しいことです。
しかし「愛」に対して従順でなければ、良きことは全く起こりません。

だから従順でない人達の言葉や姿勢そのものが、良かったり悪かったりするのではなく、彼等は教師に対して反応しているだけなのです。

私の指示がわかりますね?

サラは「愛」に従順にれるよう、「神」の教えに対して抵抗するのではなく、(エゴによって言い立てられている)間違いに対して抵抗できるよう学ぶ必要があります。

そして、これはあなたのレッスンでもあることが解るでしょう。
これが、ここにいる全員に必要なものなのです。 だから、サラと「あなた達」全員は方向転換の指示を受け入れる必要があるのです。

エゴのマインドにとってとても嬉しく心地良く見えるものが、あなたにそう感じられなくなるように、学び直す必要があるのです。

次に私が何を言うか、もう解っているでしょう。
(他者を修正しようとするのではなく)「修正そのもの(修正を受け入れているもの)」に成りなさい。「愛」に対して、「愛」の教えに対して、従順な「生命」に成りなさい。


2006 614

サラが興奮し切っている間は、私に掴まっていなさい。
ここに示されている力は一つだけです。

激怒がエゴの唯一の武器なのです。

エゴが持っているように見える他の全ての武器は、怒りの前には無力です。

そして強制は、この怒りの基盤の上に築かれており、怒りが強要の下に潜む怖れを生んでいるものです。

私たちが話しテキストを読み進むに従い、これらのことがよりクリアになって行きます。

すぐに解るように、あなたは私と共に静かに居ることが出来るのです。


27. A miracle is a universal blessing from God through me to ALL my brothers. Why? It is the privilege of the forgiven to forgive.

27. 奇跡とは、私を通して「神」から私の全兄弟達へ与えられる全体的祝福です。 何故なら、赦す事が「赦された者」の栄誉/特権だから。

そして私は常にここに居て与えて(“for giving”)います。
それ故に、私は(そしてこのように与えることにした者全員は)「赦された者」(”the forgiven”)なのです。

これは人々が考えていたより、もっと簡単でしょう?
イザヤが聖書の中で「あなた自身」を綺麗に洗いなさい17。と言ったように、これは簡単なことなのです。 

本当にあなたは「雪のように白く」、降ったばかりの雪のように純粋なのです。 これは優しさと美しさの表現で、肌の色とは関係ありません。
エゴはなんでも、区別のために使おうとしてしまうので、私はこの点も明確にしておく必要があります。

ここで、赦す事が「赦された者」の栄誉/特権だから、と言っていますね? 確かにこれは栄誉であり特権なのです。

だから私は二千年に亘り「あなた達」全員と共に立ち続けることが出来たのです。

ファーザー・フラナガン(映画「少年の町」の題材にもなったボーイズ・タウンの創立者)の宣伝に出てくる子供がチャーミングに「お父さん、重くないよ。彼は僕の兄弟だから。」と言っていましたね? これはどういう意味でしょう?

どうして兄弟姉妹の共同体が、この地の仕事を軽く出来るのでしょう?
何故なら、あなたは一人で彼等を背負っている訳ではないからです。

映画の中でロイス・レインがスーパーマンに「誰が私を支えているの?」と聞き、それから「誰があなたを支えているの?」と聞く場面を覚えていますか?18

あなたが「繋がれば」、『あなたが自分の「姉妹」や「兄弟」を支えている時、私があなたを支えていること』を意識出来るようになるでしょう。

これが家族の抱擁です。 高貴な家族の抱擁なのです。


The disciples were specifically told to be physicians of the Lord and to heal others.

弟子達は、「主」の医者になり、人々を癒すようにハッキリ言い渡されました。

そして「神」のお医者さんになるための資格とは何でしょうか?
神に譲ろうとするハートです。 「神のパワー」に対する絶対的信頼です。

そして「繋がり」続け、自分だけでやろうとはせずに、「神」に譲ることです。

つまり、エゴの狂気を脇に退けるのです。 
「神聖なる力」を排除出来たと考えているエゴの狂気を取り除くのです。


They were also told to HEAL THEMSELVES,

そして彼等は「自分自身を癒す」ようにも言われました。

この意識状態(信頼すること/意図的に譲ること/繋がること)があなたを癒します。


and were promised that I would never leave them or forsake them.

そして私は決して彼等から離れたり、彼等を忘れたりしないと約束しました。

そしてもちろん、譲って繋がることで『私が(あなたとして)あなたと常に一緒に居ること』に対する気付きがもたらされるのです。

これはあなたの美しい個性を侵害するものではありません。 何故そうなのか説明しましょう。

盲目の人は、盲導犬という祝福に恵まれている場合が多いですね。
盲導犬は人を注意深く導いていきます、彼/彼女の世話が盲導犬にとって一番重要なことです。 そして盲導犬はその人個人と一つになって動くのです。

私はあなたに対してこのように働くのです。


Atonement is the natural profession of the Children of God, –

アトーンメントとは「神の子供」の自然な宣言(信仰の告白)です。

これが「ひとつになること」(At-One-Ment)です。

そしてこれはもちろんあなたにとって自然なことです。

「もちろん」と私が言い続けているのは、これがとても当たり前のことだからです。

これは、聖杯を取って来るような難題をあなたに求めているのではありません。

これは、あなたの真の在り方であり、あなたにとって神聖で自然なことなのです。


-because they – You – -have professed have re-acknowledged me.

何故なら彼等は(あなたは)私を信じたから(私を再び認めたから)

あなたのマインドとハート全体で私を認め直したから。


“Heaven and earth shall pass away” simply means that they will not continue to exist as separate states.

天と地は去っていくでしょうとは、それらが分離した状態としては保たれなくなることを意味しています。

言い換えれば、まずあなたは理解し始め、次にあなたが見ている全てのもの(ドア、ベッドカバー、ベッド、怒り狂っている女の人、バスケットの中の玉ねぎ、茶色のゴミ袋、これら全てのもの)を天国の一部として見始めるのです。 現在あなたがそれらを体験している様子とはかなり違いますが、それでもそれら全ては天国の一部なのです。

これらは「全て」「生きている愛の現れ」なのです。 「生きている愛の現れ」があなたを「愛」しているのです。

だから私は、(表面上の醜さや破壊的状況にも関わらず)ここが優しい「宇宙」だと言って来たのです。

感嘆をもたらす賛美歌「あなたは何と偉大なのでしょう」How Great Thou Art”美歌第二編161番、輝く日を仰ぐとき・・・を「神」に向かって歌うことは、「創造の全て」に対して「真実」を歌うことなのです。

何故なら、「創造の全て」は「神が彼/彼女自身として現れ出でていること」だからです。


My word, which is the Resurrection

私の言葉は「復活」であり、

本当は「復活」とは、死んでしまっている物質的身体が蘇ることではありません。

確かに人間的感覚にとっては私は「死んで」それから「生き返った」のですが、私を「自分自身」として見ることを許可出来た人にとっては、私は永遠にそして唯一の「生きているスピリット(霊)」として留まっているのです。

そしてスピリット(霊)は、つまり「私たちの本当の存在」は、常に遍在(全ての場所に存在)しています。
だから私は十字架の上に現れると同時に、それとは違う体験、磔刑を少し離れた所から眺める体験を選ぶことが出来たのです。

上記の説明が、あなた達の罪を償うために私が死んだという教義が刷り込んで来た「罪悪感と痛み」を取り去るよう私は願います。

私はそのようなこと(人の犠牲として死ぬこと)はしませんでした。 
私は生きたのです。 そしてあなたのために常に「生き」続けるのです。 何故なら、あなたは私の「姉妹」であり「兄弟」だから。

あなたは本当のところ罪を犯しはしませんでした。
あなたが自分の「愛に溢れた父/母」に背を向けて「遠い異国へ」行ってしまった時にも。 これは「放蕩息子」寓話に出てくる、あなたの見せ掛けの自己主張(自意識)について言っているのです。

もしあなたが惨めな罪人だったとしても(そう信じてしまっていても)、私はあなたのために私に出来ること全てをします。

私は上記のことを『自分の「永遠の良き性質」をまだ把握していない人』のために言っているのです。


-and the Light, shall not pass away because Light is eternal.

そして「光」です。 この私の言葉は無くなりません。 何故なら「光」は永遠だから。

この「光」はあなたの「実体」そのものであり、これは「私のもの」でもあるのです。

これが「故郷」へ帰ることをあなたの意識に引き寄せるのです。

あなたは心の中では、自分が「無垢」で「純粋」であることをとても良く「理解」しています。
そしてあなたは自分の「無垢/純粋」を防御することに多くの時間を割いています。
しかし、これは全く不必要で効果の無いことです。

あなたがこのように振舞ってしまっているのは、『自分自身が無垢で純粋そのものであり、それは決して脅かされないこと』をあなたがまだ十分理解していないからです。

私の言った次の言葉がこれに対する説明を与えています。
「私の無防備の中に私の安全があるのです。」

あなたが本当に無防備にれた時、あなたはあなたの「真の性質」を認識出来るようになります。 そして「逆もまた真なり」です


YOU are the work of God, – the Source of Light – of Love – of Life– and His work is wholly lovable and wholly loving.

あなたは「神/光/愛/命の源」の技です(あなたは「神」の作ったものです。)
そして「彼/神」の技は、完全に愛らしく、とても愛に溢れているのです。

だから、あなたは全く愛らしく、全く愛に溢れているのです
これは「良き知らせ」では無いですか?


This is how a man – You – male or female, adult or child – MUST think of himself in his heart, because this is what he IS

人は自分自身のことを、自分のハートの中で、このように考えるべきなのです。 何故なら、これこそが人のあり様だから。

(男であろうと、女であろうと、大人であろうと、子供であろうと)あなたは自分自身のことを、自分のハートの中で、このように考えるべきなのです。 何故なら、これこそが人のあり様だから。

あなたはあなた自身のことを、あなたのハートの中で、このように考えなければいけません。 何故なら、これこそがあなたなのだから。

この言葉をただ読んで、次の原則へ進むのは容易ことでしょう。

だからここで一時間休憩しましょう。 そして、「あなた自身」を、この「愛に溢れた、愛らしいもの」として体験することがどのようなものか感じてみましょう。



あなた自身のことを「愛に溢れた存在」として見る方が、「愛らしい存在」として見るよりも簡単ではないですか?

しかし他者から見る限りあなたは愛らしいのです。
でもあなた自身のことを「愛らしい存在」として見るよりも「愛する存在」として見ることの方が簡単なのです。(笑)

赤ん坊はとても愛らしいものです、彼等が自分の意志を持ち始めるまでは。

では『私たち全員が完全に愛に溢れており、愛らしい』とはどういうことでしょうか?

私は、モータル(必滅者)つまり夢見ている者のことを愛らしいと言っているのではありません。

しかし、夢見ているあなたが居るそこに、息子/娘/「神の現れ」そのものが在るのです。

「愛らしさ」はあなたによく見えているものではありません。
むしろこれは、あなたに与えられているもので、あなたはそれを受け入れ、この観点から「あなた自身」や「兄弟姉妹達」と関わり合うべきなのです。

「ウーン! これ私には難しすぎる。」
確かにこれは「自分のことをエゴ(分離した存在)だと考えている人」には難しすぎることです。


2006615

しかし、あなたはエゴではありません。

エゴとは、細かく分けられた知覚でしかないのです。
狭く小さくなる過程で認識が誤認識になって行ったのです。 知覚が誤認識をするようになったのです。

これは例えば、あなたがとても暗いサングラスを通して「宇宙/天国」を眺めている状況に似ています。
これはとても濃いサングラスで、これより暗くさせようとすれば、目を閉じてしまわければいけない位です。

このレンズを通して眺めた「宇宙」は、とても暗くて奇妙なものに見えます。

とても見づらく、何が何なのか解らないので、あなたは『「自分に見えている」と自分で考えているもの』に対する定義/解釈をでっち上げています。

解りますか。 あなたはエゴでは在り得ません。 何故ならそのようなものは存在していないのだから。

エゴとは単に「誤認識/愛の不足/自己主張」の状態を言い表す言葉でしかないのです。

だから、私たちの前にあるのは、おかしな暗いサングラスを掛けた「愛らしいひと」が「三匹の盲目の鼠」の漫画のキャラクターのように振舞っている(興奮してあちこち走り回りぶつかり合っている)状況です。

そしてあなたは逃げ回っているのです。 何故ならエゴの誤認識はいつでも恐ろしいものだから。

そしてあなたは自分のサングラスを一生懸命顔の上に押さえています。
それは、そのサングラスを通して見ている視点/視界が、『あなたの人生/生命と呼ばれているもの』に成ってしまっているからです。

それでもあなたの「愛」と「愛らしさ」は、暗いレンズの後ろに隠れて、まだここに実在しています。

「リアルなもの」が失われたことはありません。

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