「カフェの青年」の続きをまだ書いていませんね。
今日のレッスン(Lesson 39)をこのことに当て嵌めるべきだと気付きました。
それは日本で大きな津波が起こった次の週、つまり昨年の今頃でした。
カフェの青年(ブラッド君)が私を彼の教会の土曜の礼拝に誘ってくれました。
朝早く起きるのは苦手だけれど、何とか起きてダウンタウンにあるとても古いビルディングに行きました。
まだ若い牧師さんが汗を掻きながら熱弁しています。 この人には前の週にお会いしてます。
この時代にキリスト教徒である意味、キリスト教に対する不信心を他者から突きつけられた時に良く説得できないもどかしさ、何故キリスト教徒にもキリスト教徒でない人達にも不幸や災難が等しく訪れているのか、それでもキリスト教徒で在り続ける意義などを力強く語っています。
私の記憶によれば最後に彼はこのように言って締めくくりました。
「確かにキリスト教信者にも他の人達にも等しく災害は降りかかっているように見えます。 しかし我々にはキリストが約束してくれた天国があるのです。その他の人達にとってはこれ(地上)以上のものは望めないでしょう。“But
for the rest of people, this is as good as it gets for them”」
これから皆でパンとワインを飲むようです。キャソリックだプロテスタントだという区別はどうでも良いですが、あの言葉を聞いてそのまま受け取って良いものか?
深呼吸してから立ち去ることにしました。
サーモン(説話)を終えて出入り口に立っている牧師さんが「どうしたのヒロ」と呼びかけてくれました。
私は彼の胸に手を当てて“I forgive you”『私はあなたを許す』と言いました。{勿論許してませんね。 全然}
憤ってしまって当たり前だとも思いました。少なくともあれ以上は参加しないことが私の義務であるとも感じました。
次の日ブラッドが電話をくれました。「よう、どうしてる。」
良い奴です。私のことを心配してくれています。
『オレはどうしても怒っちゃったよ。 他の人達にとってはこれ(地上)が彼等に期待出来る最善のものですぅ? そんな区別は俺は知らないよ。』
「ああ、あれはオレも少し気になった。」
友達と一緒に映画を見に行こうとブラッドから誘われたけれど、私は生返事をしていました。自分が冷淡な声を出しているのが解りました。
レッスンをしましょう。
「キリスト教に対する私の愛のない思考が私を地獄に留めています。しかし私の神聖が私の救済なのです。」
もう一つ行きましょうか?
私がまだ大学生だった頃。少し田舎の方の質屋さんに行って掘り出し物のギターがないか探していました。
店の中をフラフラ歩いていると、傍で二人の男性が話している声が聞こえました。
「この指輪、これはオレの友達のクランズマンからもらったんだ。知ってるかクランズマン、ああいう奴等を殺してた奴等さ。 “It’s
the people who use to kill those people” 」
クランズマンとはクー・クラックス・クランの団員のことです。
そこには憎しみや脅しはなくとも、自分達の絶対的優位を信じている者の優越感が私には聞き取れました。
さてどうする? 「1. 何か皮肉の効いた言葉をひとこと言う。 2. そこにあるバットを手に取る。 3. そのまま立ち去る。」
私はそこで立ち止まってすこし躊躇しました。 多くの人達が居る質屋さんの中で、私とその二人の人達がそこで静止していました。
声が自分の中から確かに聞こえました。「すぐ立ち去れ。」
私は声の言う通りにしました。
でも私は不満でした。「自分はやはり意気地が無いのだ。もし一人前の男なら何か別な行動が取れた筈だ。」
しかし声の指示が最善だったのです。
[アメリカに関する愛を反映していない私の考えが私を地獄に留めています。 そして私の神聖が私の救済なのです。]
これらのことは特別私が自分から起こした(私に主な原因があった)ようには見えませんね?{少なくとも私が記述した限りにおいては。}
それでも良いのです。 別に罪悪の在処や在り方を細かく探す必要はありません。
[もし罪悪が地獄ならば、その反対は何なのでしょう?]
私などよりも不正な体験をしている人には、これは当て嵌まらないように見えるかもしれません。 許すべきでない不正が実在しており、それ以外の可能性は在り得ないという意見もあるかもしれません。
私に解るのは「より良くなることが出来る、より神/愛を反映した状況が得られる。」ということです。
そしてもし「これらのことは本当は起こっていなかったのではないせすか?」とあなたから言われたら。
「きっとそうなのでしょう。」と私は答えます。
私がもっと落ち着いていたのなら牧師さんと話をして、何が気になったか直接伝えられたでしょう。彼は理解してくれたに違いありません。 しかしあの時にはその余裕が見つけられませんでした。
質屋さんに居た二人の人に話し掛けても良かったでしょう。 私が自分の不可侵/無敵を実感していて愛を表現出来ていたのなら。