Mar 15, 2011

あなたは#21

51. The miracle is the only device which man has at his immediate disposal for controlling time. Only revelation TRANSCENDS time, having nothing to do with time at all.

時間をコントロールするために人が持っている唯一の道具は奇跡だけです。時間を超越することが出来るのは(時間には全く依存していない)啓示だけです。

しかし啓示の為には奇跡が必要なのです。
つまり啓示が起こる前に瞬間的シフトが必要なのです。


2006924

The miracle is much like the body, in that both are learning aids which aim at facilitating a state in which they are unnecessary.

奇跡は体のようなものです。 奇跡も体も(それらがこれ以上は必要とされない状態をもたらすための)学習機材なのです。

これに関して説明が必要でしょう。

天国内には「必要のないもの」や「消え去ってしまうもの」はありません。
「消え去るもの」や「必要のないもの」とは、リアリティに対する幻想なのです。

奇跡はリアルなもので、(特定の人に特定の状況内で)リアリティをかいま見させるものなのです。 とてもリアルに見えていた間違いが奇跡の中で無くなるのです。

奇跡と同様に、「体」も(本来は)リアルなものなのです。
体とは、明確な特定の魂(ソウル)のアイディアなのです。
体とは、あなたが全ての聖なる特質をパーフェクトに表現/体現/実現している様子なのです。
だから体とは物質や物体からは程遠いものなのです。

体とその使用に対する誤認識(誤解)や信念(思い込み)は不必要なものです。 だから、それら(体に関する誤解/誤知覚)は消えて行きます。 
それはちょうど、あなたが自身の全体性に再び気付いたなら、もはや癒やしのために奇跡が必要ではなくなるように。 しかし奇跡が示した真理は(体に関する真理と同様に)永遠なのです。


When the Soul’s original state of direct communication is reached, neither the body nor the miracle serves any purpose.

直接的コミュニケーションという魂(ソール)の原初状態が達成されたなら、その時には奇跡も体もそれぞれの役目を全て終えています。

あなたが自分のことを(「神」が決して作らなかった不思議な「法則」に縛られている)体だと考えていた時に、それらのものが果たしていた役目は(直接的コミュニケーションが達成された時点で)終っています。


While he believes he is in a body, however, man can choose between loveless and miraculous channels of expression.

しかし彼が自分のことを体だと信じている限り、人は愛のないチャンネル(表現経路)と奇跡的なチャンネル(表現経路)のどちらかを選ぶことが出来るのです。

「自分は体の中にいるのだ」とあなたが考えている限り、あなたは自分自身のリアリティを取り逃がしています。

あなたは自分の体を使って「得ようとすること」も「与えようとすること」も出来るでしょう。 
しかし、あなた自身が「ギフト」に成った時、奇跡が起こるのです。

あなたが目覚めた時、全てが奇跡的なのです。


He – You – can make an empty shell, but he – You – CANNOT express nothing at all. He can wait, delay, paralyze himself, reduce his creativity to almost nothing, and even introduce a developmental arrest or even a regression.

彼は(あなたは)抜け殻を作ることが出来ても、それで何かを表現することは出来ないでしょう。彼は(あなたは)待つこと、遅らせること、彼自身を麻痺させること、自身の創造力を殆どゼロにすること、育つことを放棄したり、退化したりすることさえ出来るでしょう。

夢の中ではこれが真実です。
あなたはこれらのことすべてをすることが可能です。 しかし上記の文を読みながらあなたは「何故このようなことをしたがる人がいるのか」不思議に思うかもしれません。


But he CANNOT abolish his creativity. He can destroy his medium of communication, but NOT his potential.

しかし彼が彼自身の創造力を消滅させることは出来ません。 彼は自身のコミュニケーション媒体を破壊する事が出来ますが、しかし彼自身の能力を壊すことは不可能です。

つまり、あなたはそれでもキリストであり続けており、キリストであり続けるのです。

あなたは「愛されている者」であり、永遠なのです。

あなたはまだ創造力を理解していません。
説明しましょう。

素晴らしく在ることが、「神」の特質(本来の要素)なのです。
そして神のアイディアもまた、神の特質(基本的な要素)なのです。

知性(インテリジェンス)とは実体であり、そこからアイディアが出てきているのです。
創造とは「マインド」の行動のことです。
創造の天国体験は全て「良きこと」なのです。

あなたは「神」の共同創造者なのですが(あなたは神と共に創造をしているのですが)、「神」があなたに「成っている」ことによってのみ、あなたは「神」の共同創造者に成っているのです。

そしてあなたの見ている夢は、天国を歪めて見ていることなのです。
だからあなたの夢の中では、創造が(愛らしさの無限のアイディア達のヴィジョンと動きが)歪められているのです。

旧約聖書の第一章(創世記)では、始まってすぐに、神聖なる者(神)が非創造者(創造された者)に創造をゆだねています。

これは分離に対する不正確な説明です。 何故なら「神」はこのようなことは行なわなかったのだから。

神の子が自身の源から分離すると同時に、彼は誤創造を始めました。
神の子は自身の戸惑いと恐れ(それらが『「愛」の反対のもの』としてでっち上げられているのです)の観点からリアリティを見始めたのです。

この視点は、幾千年ものあいだ、変化も向上もして来ませんでした。

このことから、あなたは罪と病と死が夢の中に導入されたことを理解することが出来ます。 これらは、単に「愛/真理/生命」に反するものとして想定されているだけなのです。 
しかしリアリティは決して、罪や病や死の夢を体験してはいないのです。

あなたが「神」の共同創造者である限り、それは「神」があなたに「成っている」ことなのです。


Man was NOT created by his own free will alone.

人は自身の自由意志によって創造されたものではありません。

創造はプライベートな行動ではないのです。

リアリティとしてのあなたは、個人的な「自由意志」によって創造されたものでは全くありません。

しかし夢見ている者としてのあなたは、また別の話です。

あなたは自分の意志だけでは夢を作り上げることは出来ませんでした。
あなたの意思だけでは、全リアリティの「愛」に立ち向かうには弱すぎたのです。
だから、そこにはあなたの意思を反射して見せる対象が無かったのです。
神の子の十全で完全な状態ではない、あなた達が「人/男と女」と呼んでいる者をサポートすることは出来なかったのです。

だから夢を作るためのこれらの必要条件を満たすために、他者との合意が必要だったのです。
そして一旦この合意が得られた時、その合意事項(相互合意されている定義)はすぐに膨らんで行きました。

その視点から書かれているのがあなた達の歴史です。
それは、実際には起こらなかったことに対する神の子の視点なのです。

ワンネス(神との一体性)を失うことはとても恐ろしいことだったので、神の子は自分が細かく分離し始めたように感じ出しました。 美しく統合されている全体が、部分/部品から構成されている、限定され分離したアイディア群に成ってしまったと感じ始めました。

分離という概念そのものが神の子を眠らせてしまったのです。
そして彼(神の子)はとても長い間、孤独で怖い夢を見続けているのです。


20091110日  4a.m.
孤独に関して説明しましょう。

あなたが体と呼んでいるものを体験している時、それは(理想的には一つの総体として上手く機能するべき)異なった部分から構成されていることが分かります。

もし急にそれらがお互いに協力し合わない分離した部分に成ってしまったなら、
たとえば体全体と繋がっている親指がその役割を理解出来なくなったなら、その役割を果たすチャンスを持つことが出来なくなったなら、その存在理由が無くなってしまうことが理解出来ますか?

これが全体から分離したそれぞれの部分が体験していることなのです。

このことから、「真の修復は繋がり直すことでしかないので、親指が自分だけの目的を作り出そうとすることは空虚である」と分かるのです。]


2006925

自分一人で判断することに慣れ切っているマインドに、全ての動きの合一性(一体感)を説明することは殆ど不可能です。

この合一(ユニティー)の中には、意思を押し付けよう/押し出そうする動きはありません。

何故なら、この合一は完全に安全でハッピーで平和で喜びに溢れているのだから。


Only what HE creates is his to decide.

彼自身が創造したものだけに対して、彼は意思決定することが出来るのです。

神の子は、各アイディアを神の特質の無限のバリエーションとして体験することが出来るのです。

そして、神の現れを意識的に見るという意思決定さえもが、ワンネス(統合されている全て)の中で行なわれているのです。

意識を取り戻している(目覚めている)神の子が自分勝手な決断をすることは在り得ません。
人が目覚めた時、自分勝手な望みは存在しなくなります。
そのようなもの(自分勝手な望み)は存在する理由がなくなるのです。

あなたは、薬指よりも小指をお気に入りにしたいと思うような必要があるでしょうか?

確かに、全体に対する個人的な各体験は存在しているのですが、分離した部分というものは全く存在していません。

個人性(Individuality)がワンネス(ひとつのもの)を構成しています。
そして無限の個人性には分離がありません。
「ひとつ」が「基本的構成要素である」と同時に「全体」なのです。


The basic decision of the miracle-minded is not to wait on time any longer than is necessary.

奇跡への準備が出来ているマインドがするべき意思決定は、必要以上に時間を待たないことです。

あなたが奇跡を体験する度に、故郷への望郷の念がより強くなるでしょう。


Time can waste as well as be wasted.

時間を無駄にすることも、時間に縛られることも可能です。

時を選ぼうとしている限り、あなたは未来と過去の間を行ったり来たりしているエゴに縛られてしまうでしょう。
それは全く無駄なことです。


The miracle-worker, therefore, accepts the time-control factor gladly, – happy to shorten the self-imposed ordeal of ‘humanhood’ – because he recognizes that every collapse of time brings all men – ALL – closer to the ultimate RELEASE from time, in which the Son and the Father ARE one.

だからミラクル・ワーカー(奇跡のために奉仕する人)は、(今まで自分達が自発的に作ってきた人間的状況の存続を短縮する為に)時間をコントロールする要素(役割)を喜んで受け入れます。 何故なら、彼は「それぞれの時間の短縮」が「全ての人を時間からの完全な解放(その中では父と子が一つなのです)へ近づけている」と知っているからです。

(「神」としての)「神」のアイディアは、「ひとつ」なのです。


Equality does not imply homogeneity NOW. When everyone recognizes that he has everything, individual contributions to the Sonship will no longer be necessary.

現時点では、平等は均一を意味していません。 全ての人が「自分達は全てを持っている」と理解した時、「神の子の共同」への個人的貢献はもはや必要ではなくなります。

これには説明が必要です。

全ての人が、自分達が全てを持っていると理解したなら、そこにはもはや特定の歌手達や、特定の数学者などは居なくなります。
しかし、あなたは永遠に個人性を保ち続けるのです。

(コーラスのように)皆で一つの音(音符)を歌っただけでも、そこには無限の諧調と音色と美があるのです。

そして、『表現する「神」の能力の全て』が、「創造の全て」に対して自由に与えられています。

お馬さんと一緒に数字ゲームを解くことがどのようなものか分かりますか?
これが、全てと全てが交わっているコンパニオンシップの一例です。


When the Atonement has been completed, ALL talents will be shared by ALL the Sons of God.

アトーンメント(和解)が完了したなら、全ての能力が全ての神の子達によって分かち合われます。

その時歌われるハレルヤのコーラスがどのようなものになるか分かりますか?


God is NOT partial. All His children have His total Love, and ALL his gifts are freely given to everyone alike. ”Except ye become as little children” means that, unless you fully recognize your complete dependence on God, – your Oneness with God as God – you cannot know the real power of the Son in His/Her true relationship with the Father/Mother– in your True Relationship with God.

神は部分的なもの(えこひいきするもの)ではありません。
神の全ての子供達は、神の完全な愛を得ており、神の全てのギフトは全ての者に対して自由に等しく与えられています。
「汝が幼子のようにならない限り」とは、あなたが完全に「神」に依存していること(あなたと「神」とのワンネス、それが「神」です)を十分認識しない限り、(彼/彼女と父の関係の中にある)神の子の真の力を知ることがあなたには出来ません。

それは、あなたと父/母の関係の中にある、貴方と「神」の関係の中にある、神の子の真の力です。


You who want peace can find it only by complete forgiveness.

平和を求めているあなたは、完全な赦しの中にのみそれを見つけることが出来るのです。

「赦し」のより深い意味は、「与えるために存在する状態」です。

通常の場合(「全て」との完全な合一が達成されていない時点では)、赦しとは過去を完全に無視することです。 これは多大な自由と力をもたらすものです。
そしてあなたの体験の中に巨大なスペースが出現し、(「与えること」により)それを「愛」で満たすことが出来るのです。

(現在のあなたの全体験は、「過去の体験を未来へと運び続けること」で一杯になってしまっています。)


You never really WANTED peace before, so there was no point in being told how to achieve it.

今まであなたは実際には平和を求めては来ませんでした。 だから「それをどのようにして達成するべきなのか」知らされる必要もなかったのです。

あなたは平和を殆ど体験しておらず、平和を体験した時にはその真の姿を認識していなかったので、あなたは平和を求めては来なかったのです。

しかし、純粋な喜びの瞬間は常に平和な所で起こっていました。 何故なら、平和なくしてリアルな喜びは在り得ないから。

メリー・ベーカー・エディーが「疲れた喜び」(tired joy33と書いていた時、彼女は「平和でない場所で感じられている偽りの喜び」のことを指していたのです。
しかし、真の喜びは、継続され続ける平和/力/バランスなのです。


No learning is acquired by anyone unless he wants to learn it, and believes in some way that he NEEDS it.

自分から学びたいと思わない限り、そして何らかの意味で学ぶ必要があると信じない限り、誰も学ぶことは出来ません。

そして今あなたは自分に平和が必要だと知っており、そして平和を少し味わっており、それをより必要としています。 そのために必要なことをしたいと思っています。


While the concept of lack does not exist in the Creation of God, it is VERY apparent in the creations of man.

「神の創造」の中では欠乏という概念は存在していませんが、人の創造の中ではこれがとても顕著に表れています。

そして平和/喜び/「愛」の欠如が我慢ならなくなったなら、あなたはもう一度全体と繋がろうと思うようになるでしょう。 何故なら、そのようにして(全体ともう一度繋がることによって)そこで(あなたが全体と繋がっているところで)、平和と喜びと「愛」が再び見つかるのだから。


It is, in fact, the essential difference.

これが(「神」の創造と人の創造との)根本的な違いなのです。

一旦繋がったなら、見た目からは解らなくとも、あなたは「人間的状況」から抜け出ているのです。

繋がっている状態に留まれば、欠乏が崩れ去り補正されるのです。


A need implies lack by definition. It involves the recognition that you would be better off in a state which is somehow different from the one you are in.

「必要」は必然的に欠乏状態を暗示しています。 それは「今いる状況よりも違う状態に居る方があなたにとってより好ましい」という認識を含んでいます。

そしてあなたはこのことをとても良く知っています(例えあなたがそれを認めていなくとも)。


Until the “separation,” which is a better term than the “fall,” nothing was lacking.  This meant that man – more properly, the Son; i.e., You and All had no needs at all. If he – You – had not deprived himself, – yourself – he – You – would never have experienced them. After the separation, needs became the most powerful source of motivation for human action.


分離(これは失楽園よりも優れた言い方です)が起こるまで、なにも欠乏しているものはありませんでした。つまり人は(より正確には神の子、つまりあなたや全ての人達は)全くどのような必要も感じていませんでした。もし彼が彼自身を(あなたがあなた自身を)貧しくしなかったなら、彼は(あなたは)必要を感じなかったでしょう。
分離の後では、必要が人間の行動の一番力強い原動力になったのです。

これを理解しなさい。

『あなたのマインドを「神」から分離した結果』として起こった一番重大なことは、欠乏体験でした。 色んな事や物が必要になり出したのです。 そしてこれが全ての怖れの源なのです。

完全性の平和と喜びの代わりに、避けようのない貧困(欠乏故に求めること)が新しい生命体験になったのです。


All behavior is essentially motivated by needs, but behavior itself is not a Divine attribute.

全ての行動は基本的に必要によって動機付けられています。 しかし行動(ふるまい)そのものは、神の特質(要素)ではありません。

神(神性)とは「在ること/存在(Be-ing)」です。


The body is the mechanism for behavior. The belief that he COULD be better off is the reason why man has this mechanism at his disposal.

体とは行動/振舞いのためのメカニズム(構造)です。「自分はより良い状態に入ることが出来る」という信念が、人がこのメカニズムを持ち続けている理由なのです。

あなたは体を使って自分の状態を向上させようとしています。

聖なる個人性が永遠に表現され続けることを体現するのではなく、それは「劣化し続ける奇妙な物体」、「存在し続けていられる間だけ必要を満たすことが出来るモノ」になってしまったのです。

そして、あなたの体が必要を満たさなくなったなら、自分の必要を満たす新たなステージが与えられると信じて、あなたは体を捨てるのです。


2006928日 早朝

この信念が「天国」と呼ばれてきたものです。 
そして、これは死の後までとっておかれるものなので、これを信じている者にとって「死ぬこと」が魅力的に見えるようになり、このようにしてエゴの存続が確かなものになったのです。

死はエゴの誤創造だと、ここでもう一度言っておきましょう。
エゴが創造だと言っているものは、本当は誤創造なのです。

「神」の創造の中には死はありません。すべてが永遠なのです。

だかから、死はあなたに対しては無力なのです。
何故なら、それはエゴが創造したもので、神が創造したものではないから。
だから、それは否定され論破され得るのです。

これが理解出来たなら、「死」の信念がエゴにとって必然的なものであり、同時に「神/リアリティ」にとって死が全く無意味なものだと分かるのです。


Each one acts according to the particular hierarchy of needs he establishes for himself.

それぞれの人は、彼自身が設定した必要に対する特定のヒエラルキー(上下階層)(自分にとって何がより必要なのかという信念)に従って行動するのです。

あなたがこの選択をしている限り、あなたはとても自己中心的に振舞っているのです。

しかしリアリティにとっては、自己中心的になることは不可能なのです。
リアリティの中では、全ての人/全てのものがあなた自身であり、だからそれら全てがあなたにとって重要なのです。
そして、あなたは自分のことを心配する必要はないのです。 何故なら、「神」と「創造の全て」があなたのことを気遣っているのだから。
これは素晴らしいことです。 違いますか?

神が全体で、創造が個人性の無限の表現なのです。

あなは共同創造に関しても今理解しましたね。 違いますか?
では、あなたがこれをどのように説明できるか見てみましょう。

あなたを「愛」している全ての人達の貢献がなければ、あなたはあなたでは在り得ません。
そして、黄色を愛し認めている全ての人達の貢献がなければ、黄色も黄色では在り得ないのです。

それは鳥、イチジク、樹、チータ、5という数字、無限という概念、香り、感触、色、Cの音程、Bフラットの音程、F#の音程、熱量力学の法則、雲、星、銀河、その他全てのものに当てはまるのです。

天国からの貢献は、夢の中の知覚からは程遠いものです。

なにがその違いをもたらしているのでしょうか?
(あなたが現在得ている)知覚は、「得る」ために使われている意見なのです。

しかし貢献は、満たされることのギフトです。

あなたはこのように「愛」されているのです。 全ての人と全てのものが、あなたへの愛に溢れた彼等の視点をあなたに与えていることが、ギフトなのです。

そして父/母(より正確には「源」)とは、わたし達全ての「愛」の総体なのです。

今あなたは少しだけこれを感じていました。
リアリティに対してフィットすることがどのように感じられるか。
全体の中のあなたの場所にいることが、どれだけ愛に満ち溢れているか。
あなたは、平等がどれだけ美しいものか理解しました。


2006929

His hierarchy, in turn, depends on his perception of what he
IS; – or really, what he isn’t that is, what he LACKS.

彼のヒエラルキー(上下階層)は、彼自身に対する(彼に不足しているものに対する)(より正確には、「実際には彼ではないもの」に対する)彼の知覚/認識に依存しており、それによって作られています。

彼に不足しているものとは、彼の神聖です。 それは彼/彼女が神の子であるという記憶です。

「神」のヒエラルキー(あなたが「神」に押し付けているアイディア)もまた、神の子(自分自身を忘れてしまった神の子)に依存しています。 何故なら、「神」にとっては全てが平等/対等なのだから。
だからあなたの目の前に現れているヒエラルキー(必要の上下構造/動かしがたい構造)は、あなたが思い出している程度に依存しているのです。

私は、「神」の一人だけの息子ではありませんでした。
私は、その当時「神」を(「神」との関係を)忘れていなかった唯一の息子だったのです。
私に特別神聖な力が与えられていたわけではありません。
私は、ただ単に自分が神聖なる力の現れであると覚えていただけです。

解ったでしょう。 だからあなたがそう望むなら、

A sense of separation from God – from Omnipotence – from Love – from Life is the ONLY lack he really needs – I really needed – to correct.

「神」から(全能から、「愛」から、生命から)分離したという感覚だけが、彼が(私が)修復する必要のある欠乏なのです。

あなたが「愛」の現れ、力の現れ、生命の現れに成っていることを発見するためには、「神」からの分離感覚という欠乏を修復する必要があるのです。

このためにあなたがするべきことは、自己意志(自己中心的意識)を幸福と取替え、断罪(他者をとがめ立てること)を平和と取り替えることだけです。

1 comment:

  1. 寺本さんにアドバイスを頂いて、「あなたは愛され...」のセクション21(原則51)の一部を下記のように訂正しました。


    奇跡はリアルなもので、(特定の人に特定の状況内で)リアリティをかいま見させるものなのです。 とてもリアルに見えていた間違いが奇跡の中で無くなるのです。

    奇跡と同様に、「体」も(本来は)リアルなものなのです。
    体とは、明確な特定の魂(ソウル)のアイディアなのです。
    体とは、あなたが全ての聖なる特質をパーフェクトに表現/体現/実現している様子なのです。
    だから体とは物質や物体からは程遠いものなのです。

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